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古い時刻表が出てきました

 古い時刻表が出てきました。1978年8月号、1978年10月号、1979年6月号、1981年5月号、いずれも『国鉄運賃改定』『国鉄特急・急行・寝台料金改定』『国鉄運賃改定』『国鉄新運賃・料金』と運賃・料金の値上げがあったときのものです。現在もJRの赤字のニュースをよく目にしますが、晩年の国鉄時代は頻繁に値上げしていた・・・?この頃はほぼ毎日電車に乗っていたのに(定期券だったから)頻繁に値上げしていたかは記憶にはありません。(日本経済新聞「JR北海道が全21区間赤字」2022年6月3日

1978年8月号 1978年10月号 1979年6月号 1981年5月号

 当時よく利用した静岡――京都を1978年8月号の【新幹線各駅間の運賃・特急料金・グリーン料金早見表】で見ますと運賃3,100円、特急料金2800円*1、1978年10月号【運賃・特急料金早見表<新幹線各駅間の運賃・特急料金早見表>】では運賃3,100円、特急料金3,100円*2、1979年6月号【運賃・特急料金早見表<新幹線各駅間の運賃・特急料金早見表>】は運賃3,500円特急料金3,100円*3、1981年5月号【運賃・特急料金早見表<新幹線各駅間の運賃・特急料金早見表>】は運賃4,000円、特急料金3,400円*4ですが指定席と自由席の差が200円から300円に上がっています。この頃は、いつも自由席で指定席に乗ることはありませんでした。もっとも静岡に停まる“ひかり”は下りは8:48(新大阪行)、上りは22:31発(新大阪始発)の上下線各1本、1981年5月号には下り22:05(名古屋行)、上り7:38(名古屋始発)も加わっても上下線各2本で、ほぼ停りませんから指定席を利用するほどのことはありませんでした。新富士、掛川、三河安城もなく新横浜も全便が停まってはいない時代のことです。
 1981年5月号の黄色いページに【運賃改定のあらまし】に 

 国鉄の運賃が4月20日に改定されました。一言で申しますと座席指定料金除いて運賃・料金はすべて改定になりました。

とあることから新幹線の指定席料金が200円から300円に上がったのはもっと前でしょうか?また「普通運賃」の項に

 運賃の基本となる1キロ当りの単価が、300キロ迄は12円40銭(1円05銭アップ)、301~600キロは9円90銭(85銭アップ)、601キロから以上は5円40銭(45銭アップ)になりました。そして、100円の最低運賃は110円に、4~10キロ区間の120円は130円に改定されました。   (以下略)

とあります。1979年6月号は100円、120円になって、それまでは80円、100円と最低料金が100円を超えたのはこの頃ということになります。記憶をたどると1973年頃は最低料金は30円・・・?


*1
1978年8月号『特急料金は、全区間自由席ご利用の場合、となりの駅までの料金を除き、この料金から 200円引きとなります。』とあります
*2
1978年10月号 自由席が200円引きという記述はありません
*3
1979年6月号『全区間自由席ご利用の場合はこの料金から 200円引き となります。』とあります
*4
1981年5月号 『全区間自由席をご利用の場合は、この料金から300円引き(「ただし九州内相互間は500円引き、九州内の50キロまでの区間は700円)となります。』とあります

Neko

「新 Kitayama YH fan network community!」管理人です。

2件のコメント

  1. 1968年10月号(復刻版)によると静岡ー京都の運賃1230円、特急料金1000円(2等)。自由席特急料金は1・2等とも「こだま号」の特急料金から100円を引いた額です。となってます。超特急ひかりと特急こだまは別料金、静岡に停まるひかりはありません。こだま静岡ー京都2時間17分、こだま東京ー新大阪4時間、ひかり東京ー新大阪3時間10分、ひかり東京ー京都2時間51分。(1964年の開業時はこだま東京ー新大阪5時間、ひかり東京ー新大阪4時間でした。)

    最低運賃は1~5キロ2等20円、1等40円となっています。

  2.  私が修学旅行以外での初めての上洛は1973年(鈍行でしたので)、新幹線を使ったのは1975年、乗車券、特急券合わせて(1,500円+1,500円=)3,000円(?)だったと記憶しています。その頃の時刻表は出てきていないので判りませんが・・・

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