最近、静岡県外に長い間(昨年9月に那須に行って以来)出ていない故の、禁断症状の様な、何処にも行けなくなるかもしれないと不安で動悸が頻繁にしています。で、終活準備?ということで整理をしようとして古い時刻表が見つかりましたが、今回は月刊誌の『京都』(現『月刊京都』=当時は月刊の冠はなくただの『京都』で、定期購読の案内に月刊誌「京都」と有)です。左から昭和50年7月号『京都』、昭和53年7月号、昭和54年7月号*1です。昭和51年7月号、昭和52年7月号もあるはずですが見つかりませんでした。
7月号というと祇園祭と思いますが、昔は現在ほど祇園祭の扱いは大きくない様です。
昭和53年7月号の目次を見ますと祇園祭トピックスと1978年7月号記事「行事ハイライト・あれこれ」のみです。「行事ハイライト・あれこれ」は2ページにわたっていますが、「祇園祭トピックス」は小さな記事です。
さて、下の左画像は昭和50年7月号『京都』P.46の山鉾と巡行の案内図です。もう一枚は『朝日旅の百科「京都」2洛中 南部昭和53年6月20日発行』のP.92です。この画像を見て何か気付くことがあると思いますがわかりますか?
*1
発行所が「白川書院」ではなく「白川書院新社」になっています。白川書院がダメになって新社に変わった頃です。
編集後記に
新体制のもと、こくのある月刊 づくりに編集部一同張切ってお ります。
このほど編集室も古く住みなれ 京大北門前から、新本社の所在地に移転致しました。
とあります。
50年7月のは、保昌山が烏丸通にありますね。
「保昌山が烏丸通」にという間違いはさすがに気付いた様ですね。他に何か間違いではありません)気付く(人がいるかと待っていたのですが・・・
北から書きます。今年、復興するという話題の「鷹山」があります。
次に西洞院通四条を上がったところに「カマキリ」とあります。次に新町通四条下ルに「凱旋」、綾小路通室町西入に「綾傘」が記されています。しかし、四条通西洞院には「四条傘」が記されていません。「綾傘鉾」は昭和54(1979)年、「蟷螂山」は昭和56(1981)年、「四条傘鉾」は昭和63(1988)年、「大船鉾(凱旋)」は平成26(2014)年から巡行に参加する様になったということですので、昭和50(1975)年当時はいずれもありませんでした。ここに記されているということは、復興をめざして休み山として飾られていた、そして記されていない「四条傘鉾」は飾られていなかった・・・?と考えられるのではないでしょうか。
ちなみに昭和53(1978)年発行の『朝日旅の百科「京都」2洛中 南部』の方は休み山は記されていません。