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京都の御陵

たなきんです。いつものように長文です。一年間のご無沙汰でしたので書きたいことが溜まっています。

耳タコですみませんが、筆者は「平凡社版ポケット地図 京都」昭和50年6月25日初版、昭和51年2月21日第3刷を今だに愛用しており、しかも巻末の目次に掲載されている「寺院・神社・公園・陵・百貨店・ホテル」を全数踏破するという目標を立てて実行に移しております。その項目数は、寺院190、神社56、そして意外にも第三位が陵45です。

京都に来て寺社仏閣は参拝すれど天皇陵を巡るような痴れ者は少ないのですが、「全数踏破」を公言している手前、引っ込みがつきません。さらにそのような目標を立てる前にあらかたの寺社は巡っているので、最近の京都旅行にはお墓参りが少なからず混じります。

大どころでいうと地下鉄東西線の駅名「御陵駅(みささぎえき)」となっている「天智天皇 山科陵」は、鬱蒼とした森の中の参道の長さだけでも直線で400メートル近くあって、常駐と思われる管理人事務所が参道の横に備わっています。400メートルというのは、北山でいうと松野醤油の交差点から鷹峰源光庵前停留所までの距離。または、その停留所から然林坊の角までの距離の2倍に当たります。参道の突き当たりには説明板と塀で囲われた小山があって、一般人が想像する墓石のようなものは拝見することは出来ません。

天智天皇陵

知恩院の北隣は、青蓮院門跡とご記憶の方は多いでしょうが、実はその境界に花園天皇 十楽院上陵という天皇陵があります。なぜ単純に「花園天皇陵」という名がついていないのでしょうか。その昔、知恩院の北側には十楽院という寺があったのですが、青蓮院が白川の乱を避けて移転した際にこの寺を吸収合併したという説明があります。また、なんで「上陵」と呼ぶのかは定かではありませんが、洛西に住まわれ、洛西でお隠れになられた花園天皇がなんと東山の麓に葬られた理由は下記のサイトに説明があります。

https://blog.goo.ne.jp/shoufuu/e/860d76f21e2d42d06682ad496d4daf12

花園天皇陵

くだんの地図で一番南にある御陵は、宇治の「莵道稚郎皇子御墓」ですが、これは天皇ではなくて皇太子で、仁徳天皇になられる異母兄に皇位を譲るために自殺したと伝えられています。だいたい、この皇太子のお名前は読めませんね。「うじのわきいらつこ」で、この方は皇位継承の争いを避けて宇治に移住されたので、京都市から離れた場所に御霊があるのはうなづけます。

https://kyotofukoh.jp/report1688.html

すると最も南にある御霊は、伏見稲荷より1キロ近く南、なんと名神高速道路の南側に位置する「仁明天皇 深草陵」ということになります。

https://blogs.yahoo.co.jp/hiropi1600/51545231.html

仁明天皇陵

また、龍安寺の裏には三柱の天皇の巨大な暮石が並んでいます。龍安寺石庭の三倍くらいの広さでしょうか。そしてその裏山の頂上には堀川天皇陵と一条天皇陵があって、多くの地元の方、天龍寺の方も知らないようで、道を尋ねても首を傾げられます。

http://blog.livedoor.jp/sujin_10/archives/19181058.html

一条天皇陵

また、仁和寺のさらに北側には宇多天皇陵がありますが、途中は岩が露出する山道でここで倒れたら当分の間は死体は発見されないだろうなという恐怖感に苛まれます。ここに行くような考えを持つことは強く反対致します。

宇多天皇陵

ここまでお付き合い下さいました読者各位の皆様、お待たせいたしました。そろそろ結論です。京都の40を超える天皇陵を巡ってみると、ここまで書いてきたように、その位置がバラバラであることに気がつきます。平成の御世の我々は、明治天皇以降の天皇陵「武蔵野陵」は東京の西側にある八王子の山中にあることを知っております。昭和天皇の棺が中央高速を走って埋葬地へ向かったテレビ画面を覚えておられるでしょう。

閑話休題、なんでそんなに京都の御陵の場所がバラバラなのでしょうか。まず、京都にお詳しい方は、御所そのものが戦乱や政争のため京都の中を移転された歴史をご存知だと思います。つまり、崩御された場所があちこちなのだから、天皇陵の場所も散在しているのだという推論が出来ます。

そこで調べてみると、「治定(じじょう)」という言葉に頻繁に出くわします。結論からいうと明治の御世になってから宮内庁が「治定」したのであります。つまりは、宮内庁が古い墳墓を「◯◯天皇陵」と定めたのであります。そこで今となっては学術的に疑わしい御陵もあって、私と同世代の皆さんが「仁徳天皇陵」と習ったあのお墓は、今では教科書に「大仙古墳」と載っています。ただし、宮内庁は従来の「治定」を覆しておりません。

宮内庁治定陵墓の一覧

大仙古墳は最近まで仁徳天皇陵

四国霊場八十八か所を巡礼したり、日本百名山を登るには今からでは些か体力的に問題がありますが、天皇陵のリストは宮内庁が神武天皇!?から昭和天皇までをサイトにアップしてありますので、それらを巡るのも退職後の良い趣味かと思います。ちなみに私は全御陵参拝を目標としているグループに出会ったことがあります。変な趣味の団体と思ったのですが、向こうも京都を徘徊する変な奴と思ったに違いありません。

タナキン

北山ユース開所366日目から宿泊して、皆さまに育てられた大昔のホステラーです。 京都の寺社仏閣の全数踏破を終え、次に季節毎の拝観を実施中。

1件のコメント

  1. 自己レスですみません。御陵の付録です。

    京都五山第一位、嵐山は天龍寺の方丈入り口に向かうと、右側(北側)に入口へ太い竹が渡してある石畳の道があって、如何にも立ち入り禁止の様子ですが、お寺の方に亀山天皇陵と後嵯峨天皇陵はどちらでしょうかとお尋ねすると、「あそこの竹を押し上げて入った道の奥の左側です。」と明朗にお答えして頂けます。なんと、御陵は龍安寺の境内にあったのです。

    浅学非才、無知蒙昧とはよく言ったもので、龍安寺は後嵯峨天皇の鎮魂のために創建されたことを後で知りました。恥じ入りました。

    知らないでいると、チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叱られます。

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