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草を喰む

たなきんです。いつものように長文です。

司馬遼太郎の紀行随筆「街道をゆく5」を読み始めている。彼は、「龍馬がゆく」、「花神」や「坂の上の雲」など、幕末維新そして明治時代の歴史小説で有名であるが、小説家になる前には意外な人生を送っている。まず、兵隊に取られて戦車乗りとなり満州で小隊長までになった。そして本土決戦を控えた帰国後に終戦を迎え、新聞記者となり京都で大学と寺社の担当となったので、寺巡りに毎日を費やし、両脚が地面に付いた事実や時節の変遷を実感しているのだ。終戦直後の頃、新撰組屯所となった壬生の八木家には芹沢鴨の暗殺事件の目撃者が存命していたし、彼は円山公園で数百名の山伏の集合に会ったと書いている。何はともあれ、戦後の数年間を京都で新聞記者として活動していたのである。

その彼の随筆に、花背へ向かう場面がある。京都好きの読者諸兄におかれても鞍馬までは足を伸ばした経験が一度や二度はあると思うが、恐らく元気な方でも鞍馬温泉まで登り切って湯に浸かってまた坂道を降りてきたに違いない。そして、花背はその鞍馬のかなり奥にあって、一部は無舗装の山林の中の鞍馬街道を1日に3本しかないバスが通っているが、終点の広河原までは鞍馬から1時間強もかかり、その終点の広河原にはスキー場があると聞けば相当の山の中だと知れよう。なお、鞍馬温泉から広河原の間は自由乗降区間なので停留所の有無に関わらず、乗り降りが出来る。つまり停留所の間隔が長いか山道でそこまで辿り着くのが大変なのである。

筆者も一度だけそのバスに乗ったことがあるが、鬱蒼とした木々で日光が遮られた狭い山道をバスがジグザクと走る。そしてすれ違いができない場所が少なくないので、遠くの対向車にその接近を知らせるために「エデンの東」などの古いシネマ音楽を大音響で鳴らしながら走る。バスが山に入り、音楽を流し出した時は誰でも驚くが、しばらくして自ずからその理由がわかると笑みが出てくる。そして、バスは対向車に一度も出会すことなく目指す停留所に到着した。

私が降りた停留所は百井別れという三叉路であったが、これから話題にする「大悲山峰定寺」はそこからまだ16キロも先にあって、バスならゆうに30分はかかる山奥なのである。京都の中央からは北に40キロも離れているので、福井県と言ってもあまり違和感はない。司馬遼太郎が訪れた昔には京阪三条から出ていたバスは、現在は出町柳始発になっている。当時はタクシーの運転手に花背とか広河原という地名を告げると首を横に振るくらいだったらしい。

その「大悲山峰定寺」は、山伏信仰の本山である聖護院門跡の別本山という位置づけであったが本来から住職がおらず、それでも山伏の修行の場として殷賑を極めていた時期があったそうである。しかし、寺の財産である山林が明治維新のどさくさで売り払われて資金源は絶たれ、荒れ果てていた。そこに、昭和元年に聖護院から一人だけ派遣された男が、炭焼きや街に出てガードマンの仕事、さらには渓流でアマゴの養殖をして金を作り、堂宇を修理した。今はその長男が後を継いでまた山伏が修行する場を復活させている。

さて、参拝客や修行者のために大きな寺には宿坊がある。この峰定寺にも一軒だけ宿坊のような宿屋があって先代の主人が山菜を中心にした料理を出すようになった。司馬遼太郎が泊まった時は当主とその弟が台所を引き受けていたという。火は薪か炭を使い、プロパンを使わない。飯も竃をに釜を据えて炊いているという。水も山から引いた樋を伝わってきた山水を使っているという。

原文を引用しよう。「まず、蕨の海苔巻き、それを醤油で食うのだが皿の角にわさびが盛られている。わさびもこの細流に自生している野生のものである。山芋の肉芽である零余子、体の毒を消すという野萱草(ノカンゾウ)の花、またたびの煮たもの、山桃の実のアルコール漬け、ウドの花の天ぷら、野萱草のつぼみの天ぷら、ふきの葉の天ぷら、アナゴの天ぷら、ヒノキぜんまいといったふうのもので、最後に栗飯が出た。」

そして、「といえば東北や信州の山菜料理のようだが、そういう野趣はなく、調理法や食器、盛り付け具合等は全く京風で、千家の会席といった風情がある。山里とはいえ、このあたりは行政区画としては京都市左京区のうちなのである。」なんと、司馬遼太郎はその宿の名前は記していないが、人里離れた山奥にもその名は知られ、昭和の文人墨客が訪れるようになった。今、調べると、ミシュラン二つ星であり、ランチだけでも二万円くらいという高級店「美山荘」である。まあ、遠方であるし、なかなか予約が取れないのでさすがの私も行ったことはない。

ある日、その宿へ水上勉が訪れ、たまたま兄が留守だったため弟が一人で料理を作ったがそれを褒められ、独立して銀閣寺の参道に店を出した。それが「草喰なかひがし」である。ここもミシュランの星が付き、予約が取れない店である。カウンターの向こうにカマドが並び、土鍋で飯を炊き「煮えばな」という蒸らし前のご飯や、もちろんお焦げも食べることができる。料理も勿論、炭火であるがフランスの鴨や鰯を焼いたりするところが本家とは違うが、ご主人は毎朝大原の畑や野山に出て摘み草をして来るところは違いがない。

私はこの店で数々の野菜の名前や京都の風習を覚えた。「花猪口(ハナイグチ)」というカラマツ林にのみ生育するきのこはここで知った。また、「代白柿(ダイシロガキ)」や「田中とうがらし」は京の名産と説明を受けたがやはり始めて知るものであった。毎年の亥の月、亥の日、亥の刻に無病息災と子孫繁栄を願って新穀で搗いた「亥の子餅」を食べるという風習もここで教えて貰った。

ランチのお値段は税込で6600円から、ディナーは16500円からであるが全てのコースを楽しむと三時間ほどが経過していることに気がつく。700円のラーメンを15分足らずで食べているのであれば、ランチの時間単価はこちらの方がはるかに安いのである。

この店の予約には方針があって、初めての客も大事にしていて一見さんの枠がある。また、一度でも来訪した客は早めに予約ができるがそれも数の枠がある。食べに行ったその時に次回の予約をとるという有名店もあるが、それでは新規の客は増えないし先々の商売の広がりが期待できない。

私は何回か食べたことがあるので、早めに予約ができる枠に入っている。興味のある方は私を誘って欲しい。早めに予約ができる。

美山荘のサイト:http://miyamasou.jp

草喰なかひがしのサイト:https://www.soujiki-nakahigashi.co.jp

タナキン

北山ユース開所366日目から宿泊して、皆さまに育てられた大昔のホステラーです。 京都の寺社仏閣の全数踏破を終え、次に季節毎の拝観を実施中。

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