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東寺

京都を代表する風景に東寺の五重の塔がある。八坂の塔、醍醐寺、仁和寺の五重の塔と並ぶ塔で、内部に曼荼羅を立体的に表した仏像が林立している。
また、弘法大師の月命日21日には市が立ち、大いに賑わい、私のような者も何度か市を冷やかしにきた覚えがある。

しかし、実のところ東寺の境内を横切って別の寺社を参詣したり、近くの餃子店に行くことはあっても、五重の塔はおろか本堂、講堂、宝物館という屋根のある建物の中に入ったことがなかった。春の特別拝観の最終日の前日に上記の堂宇や塔、館に加えて塔頭のひとつ観智院を巡ることができた。

さて、一乗寺といえば平成の時代に入ってラーメン屋の激戦区になり、高安と天天有しかなかった筈が、極鶏、ラーメン二郎、「らーめんや亜喜英」などなど群雄割拠状態である。しかし、昭和の時代に一乗寺といえば「下り松の決闘」しか思い浮かばなかったのである。京都で剣道の道場として一世を風靡していた吉岡道場と宮本武蔵の決闘である。
東山の麓に陣を張った吉岡道場の面々は、坂の下から上がってくる武蔵を待ち受けていた。朝日を背にしているからオッケー牧場の決闘と同じく優位な立ち位置であった。敵は武蔵ただ一人、道場側は道場主、師範、師範代など、衆寡敵せずの状態で、武蔵に勝ち目などなかったのである。

ところが武蔵は早起きして吉岡道場の陣の裏側で待ち伏せし、不意打ちを仕掛けて最初に総大将を打ち倒した。司令官のいない軍はそれこそ統率が取れなくなる。
さらに武蔵は田んぼの畦道で追っ手に応じた。畦道の左右はぬかるんだ田んぼである。田んぼに入ると足元がおぼつかなくて切り合いにならない。切り合いは一対一になった。それなら武蔵に勝てる腕の者はいない。

こうして武蔵は九死に一生を得たのであるが、吉岡道場の息のかかった者どもは洛中洛外の隅々を血眼になって武蔵を探しまくるが発見されなかった。そして、武蔵が三年間隠遁していたのが東寺の塔頭である観智院なのである。まあ、私もここに来て初めて知った話である。

そして潜伏中の武蔵は、二つの絵を描いた。「竹林の図」は後述するとして「鷲の図」は、客殿の床の間にある。対面して観ると、右上には天空から下を向き飛びかかろうとする鷲、これは剥落が激しく目や嘴が確認できないが鷲の姿勢や勢いが迫ってくるのである。そして、左下の一羽は地上から飛び上がろうとしている。その二羽は二刀流のヤイバを意味しているのであろうか。斬り下ろす刄と切り上げる刃なのか。

一方の「竹林の図」は竹の節が太く大きくデフォルメされており、なかほどがくびれてまるで砂時計を重ねた形になっている。これは刃の動きの緩急を表しているのであろうか。

さて、私が最も印象に残ったのは武蔵の絵ではなく、五大虚空蔵菩薩像である。なんと五体並んだ仏像はいずれも左から獅子、象、馬、孔雀、迦楼羅(カルラ)という鳥獣の上に鎮座する異形である。カルラはアヒルが羽ばたいている形であったが、餌は龍という神話の鳥で、カラス天狗の形の像もある。高さ2mほどの像が目の前に五体並ぶととても迫力がある。

弘法大師様はこの五体の像で無尽蔵の智慧を表したと言われているが、「息災増益」のご利益があることを後になって知り、もっと拝んでおけば良かったと後悔したのである。

そして、五大虚空蔵菩薩像の奥に「愛染明王」の像がある。「愛染」というと「花も嵐も踏み越えて」の「愛染かつら」を思い出さずにはいられない。映画の主人公が京都に逃避する場面もあるので京都に無関係というわけではない。閑話休題。愛染とは、「悪人なおもて成仏」と同じく、「情欲愛欲に塗れていてもそれが悟りである」という我々凡人にとっては救いの言葉だと知った。不動明王によく似ていて赤い後背を持ち、憤怒の表情をしている。

パンフレットを撮影したもの   パンフレットを撮影したもの

さて、ここからは宝物館である。ここの目玉は二階に鎮座まします重要文化財「千手観音立像」である。高さは6m近くあり、台座に乗せられているのでもっと高く感じる。実は昭和五年(1930)に焼損、大破したが昭和四十三年(1968)に修復を終えて公開されたいわくがある。ドアをくぐり、見上げるような大きな像に畏怖を感じてまた頭が下がってしまうのである。また、密教宝具(独鈷など)も多く展示されており、真言密教の奥深さを感じるのである。

宝物館は春と秋のそれぞれ二ヶ月間だけ公開され、その度に展示の秘仏や宝具が変わるので本当は毎回通わないと全部を拝観できることができない。今回は国宝「両界曼荼羅図」の展示がなかったので、機会があれば再訪したいものである。

次が国宝「五重塔」である。四回の焼失を経て三代将軍家光の寄進によって再建された五代目の建物で、三代目ソウルブラザースより偉いのである。中央の心柱の他に4本の柱があって、金剛界曼荼羅諸尊が描かれている。そして、たくさんの仏像が収められているが説明によると美術的価値はあまりなく、五重塔の建物自体に価値があるとのこと。とはいえ、四方に向かってそれぞれの仏像とそれを守るように菩薩像が安置されているのは圧巻である。

本堂(講堂)には中央に大きな薬師如来様がおり、左右に日光月光菩薩が侍している。そして薬師如来像の土台には十二神将の像が細かく彫られていて息を呑む。そして講堂には二十一体の仏像が満員電車のごとく林立して立体曼荼羅を表しおり、目が回ってくる。

仏像疲れを覚えて外に出てみると新緑が目に痛いほどである。この緑を前景にして五重塔を望むと、あの上に登って鳥羽伏見の戦いの状況を伺っていた西郷隆盛はどんな気持ちだったのだろうかと、ふと思ったのである。

タナキン

北山ユース開所366日目から宿泊して、皆さまに育てられた大昔のホステラーです。 京都の寺社仏閣の全数踏破を終え、次に季節毎の拝観を実施中。

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