Sorry. Our site is only Japanese!
Not accessible from overseas!


Home > 京都全般 > 桜の話

桜の話

たなきんです。いつものように長文です。

日本は桜の国である。都市ごとに桜の開花を宣言するために標準木があることはよく知られていて、東京の靖国神社の標準木は有名だが、京都は二条城の北門の少し南にそれがあり、桜の花が四つ開くと開花宣言がなされる。

そして沖縄から北海道まで順番に開花予報と開花宣言が天気予報と一緒に報じられる。当然ながら、日本気象協会、ウエザーニューズ、ウエザーマップの三社が当り外れというか予報の正確性を競うのである。ちなみに桜の開花予報は昭和二十六年に当時の気象庁が関東地方に限定して始めたもので、粋なことを考えた役人がいたものだと感心するが、平成二十一年に民主党が政権を取ってから開花予報は無駄な業務として気象庁の仕事ではなくなった。しかし、開花宣言は依然として気象庁の仕事になっている。

何故、日本に桜の木が多いのだろうか。明治になってから各地の城は大抵の場合取り壊され、それらは練兵場か公園や学校になり、そこに桜が植えられたので日本国中に広まったようだ。会津若松は鶴ヶ城址、信州の高遠城址、そして京都は二条城も元は城内の屋敷が取り壊された跡地に桜が植えられたのだ。また、学校には卒業式や入学式に文字通り花を添えるので盛んに植えられたと思われる。

京都ではまず円山公園の中央にある枝垂れ桜が思い起こされるだろう。円山公園の歴史を調べると、設置は明治十九年というものの立ち並んでいた建物で火災があり、今の形になったのは大正元年ということから、円山公園での花見の歴史は百年と少しであることが判る。花見の時期にはおでんや焼きそばなどの屋台も出て、花の下で良い気持ちになることができる。ほろ酔いのまま、公園のなだらかな坂を登り切るとそこに「料亭 左阿彌」がある。門前には黒塗りの車が停車しており、高級感を漂わせる。建立や創業の蘊蓄は省くが、ペリー来航より古い料亭であり、山の斜面に建てらており山側の道路に面して入口があり、谷側は清水の舞台のように桁が支えている。そしてここの二階の大広間から見おろす桜は絶景である。庶民は桜の下で花を見上げて楽しむが、お金に余裕のある方は上から見おろすのである。

円山公園の北は知恩院で、紅白歌合戦の後の「ゆく年くる年」で映し出される除夜の鐘は福井県の永平寺の鐘と並んで全日本人の脳内に刻み込まれている。この寺は徳川幕府が京都を守る戦略拠点として整備されたという話は京都通の読者諸兄はご存知だろう。三門の上で大きな旗を振れば二条城でそれを望むことができたし、本堂(御影堂)には千人以上の兵士を収容できるキャパがある。(人数については記憶が定かではない)。また二条城が戦火などで使用不能となった時の代替拠点として、知恩院を整備して時代劇で馴染みのある殿様と家来が向かい合う広い座敷が二つある(大方丈と小方丈)。この代替拠点を用意するというのは、現代でも事業継続計画(Business Continuity Plan)と呼ばれる危機対策の鉄則である。ちなみに平成二十八年に東宝で制作された「シン・ゴジラ」では破壊された首相官邸の代替拠点として立川広域防災基地にその機能を移すシーンがあるが、この立川の拠点は本当の話で東京にある某大手電力会社の代替本社もここにある。

さて、桜の話に戻ろう。知恩院の裏山である東山の中腹には、この寺の開祖である法然上人の居住していたお堂「勢至堂」がある。長い石段を昇ると左側に門がある。私が足を向けた時には日が傾いていたので門は閉じてあり、隙間から満開の桜がわずかながら望める。私のような酔狂な観光客が二、三人で門にもたれかかるようにして覗き込んでいると中から寺男が現れて、門の閂を外してくれた。門からお堂まで続く石畳の両側に桜が植わっていて、いくつかは風に散り始めている。寺男は問わず語りに「ここの桜は山桜が混じっているので開花や散り始めの時期が遅いんですよ。」と説明しだした。石畳に沿うように並んだ桜は不揃いで、切株もあるし、支えのついた若木もある。寺男は私の視線を捉えて、「桜にも寿命があるんですわ。」と話しかける。そして「ソメイヨシノなんかは人間と同じで寿命は六十年ですわ。」

調べてみると、ソメイヨシノは苗木から十年くらいで花を咲かせるようになるが、人が世話をしないと三十年目頃で盛りを迎え、四十年目くらいから衰えてしまい、六十年の歳月では見るも無残になってしまうとのことだ。また隣り合った桜が枝を接し合うようになり相手に日陰を作り出して樹勢が衰えるということもある。例外的に百年を超える寿命を記録しているソメイヨシノもないわけではないが、読者諸兄がご覧になっている嵐山公園の桜は、貴方より若いのである。なお、山桜は約三百年、エドヒガンは約五百年とも言われているが我々が花見するのは大体がソメイヨシノである。ここで更に一言加えると、毎年見事なソメイヨシノを愛でるにはかなりの世話や植替えなどにお金が掛かっているということである。

思い返すと、東京の戦後生まれの私が小学生のころ玉川上水の両側に植えられた桜が有名だと教えてもらっていたが、先の東京オリンピックの頃には枯れ木ばかりになっていた。東京ついでに書き置くと目黒川の桜も戦後に植えらたものでそろそろ寿命が尽きる筈である。

さて、私の大好きな桜に関わる京都の風景はなんと言っても仁和寺の山門である。その季節になると門前を通る市バスの窓から大きな手書きの大きな看板が山門に立てかけられ、「三分咲き」、「五分咲き」、「見頃」、「満開」などと墨痕淋漓であるものの、あまり達筆とは言えない文字が桜の季節を知らせてくれるのである。筆者は仁和寺の御室桜を一度しか見たことがないが、この看板は何度も眺めるたびに、日本に生まれてきてよかったと思うのである。

以下は蛇足であるが、仁和寺の御室桜は樹高が低いこととぼってりした八重桜で有名であるが、平成の世にその八重桜の本数が境内の桜の一割以下になってしまったことがある。株分けして苗木を作っても八重が一重になってしまう桜が続出してしまった結果だそうだ。ところが平成年間は遺伝子の学問が発達した時代でもあるので、平成二十四年に住友林業がクローンの御室桜の成育に成功し、平成二十六年には見事にクローンの八重桜が咲いたそうである。

また、日本から贈られた米国ワシントンDCのポトマック河畔の桜は有名であるが、平成三十年に日本からロンドンに千本の桜を寄贈する計画があるという。令和二年までに植樹が完了する予定で、リージェント・パークを含む四ヶ所の公園で花見ができるそうである。ただ、ワシントンの桜もロンドンの桜もランニングコストがかかるのである。

以下は「そうだ京都行こう」の桜のコマーシャル:

https://www.youtube.com/watch?v=6FaFlvAaiOU

https://www.youtube.com/watch?v=EiepjjIdOWU

https://www.youtube.com/watch?v=IKiXLGpB7vU

https://www.youtube.com/watch?v=zst3i5aKHM0

https://www.youtube.com/watch?v=zMlRjREVAgg

 

タナキン

北山ユース開所366日目から宿泊して、皆さまに育てられた大昔のホステラーです。 京都の寺社仏閣の全数踏破を終え、次に季節毎の拝観を実施中。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です