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うぞうすい

たなきんです。今回の舞台は京都から離れる話もあります。原稿用紙6枚分です。

京都駅から七条通りを東に向かうと、蓮華王院三十三間堂の少し手前、道路の北側に「うぞうすい」で有名な「わらじや」がある。「うぞうすい」の「う」は、「うなぎ」の「う」である。うなぎの料理は、蒲焼、白焼き、うざく、肝焼き、肝吸いぐらいしか頭に浮かばないが、ここでは鰻を輪切りにして、焼き目をつけた九条葱や庄内麩、春雨と一緒に煮て土鍋仕立てにして食べさせる。これだけだと鰻鍋であるが、食べ終わるとその鍋にご飯とささがき牛蒡、千切りの人参と生椎茸を入れ、溶き卵を流し、三つ葉を散らして「うぞうすい」にして食べさせるのである。

四百年も続く老舗の和風建築は、中庭を囲むように座敷があり風情がある。また、輪切りの鰻には骨がなく、「骨抜き」は秘伝の技と聞いたがいつぞや日本放送協会の番組でそのやり方を放送していた記憶がある。しかし、記憶はあいまいで骨抜きの方法も覚えていない。スッポンの大市ほどではないが、お値段がはるので今まで二回しか行ったことがない。そして、そのうちの一つが上司との食事であった。

その上司は好奇心が旺盛で、出張の折に色々と寄り道をすることがある。そして、その案内を私がするのである。そして「わらじや」も上司のリクエストであった。但し、店を指定するのではなく、京都駅の近くの良いお寺を訪れて、その後に美味いものを食べさせろという指示であった。仕事の後なので暮色迫る京都の街で、駅近の条件を考えて「東福寺」を案内した。紅葉の季節は終わっていたが、通天橋を渡り、山門を見上げ、寺の名前の由来などを説明すると何事か感じ入ったようであった。

確かに、東福寺の塔頭の一つ「即宗院」は、西郷隆盛と一緒に入水自殺を試みた清水寺の月照上人が密会した場所でもあり、鳥羽・伏見の戦いではここに薩摩軍が駐屯した歴史がある。また、薩摩から江戸に輿入れする篤姫が暫く逗留したのは東福寺である。文人墨客は当然ながら、歴史上の人物が往来や参拝したことは間違いなく、上司はそんなことを考えていたのであろうか。

さて、イタリアのトリノという街は自動車メーカーのフィアットの企業城下町であり、鉄、アルミ、ガラス、電機、プラスチックなど自動車部品を生産している企業がたくさんある。日本の都市だと三菱重工業のあった名古屋が似ているようだ。零戦を作るには鉄、ジュラルミンなどの合金、金属加工、合成樹脂、ゴムなど数多くの工場が周囲に必要である。そして戦後には、その遺産を受け継いでトヨタ自動車が今の隆盛の基礎を築いたと考えられている。また、その生産設備を使って自動車部品以外の製品を生産している企業もあるので、日本と繋がりのある会社もある。

そのトリノ出張の折に、土日が絡んでいたので上司からミラノ へ連れて行けとの指示が下りた。トリノが名古屋なら、ミラノ は京都と言い換えても良い都市である。トリノとミラノ の距離は約150キロ、名古屋・京都の距離が147キロなので、速い列車を利用すると1時間強で移動できる。列車の切符の手配だけではなく、現地のホテルの予約も必要になる。いきなりのご指示であるから何の下調べもしていない。もちろん私は、イタリア語は勉強などしたことはない。

それでも、なんとかAMEXのカードを使って乗車券を入手した。当時は電話線経由でネット接続できた時代であったが、トリノのホテルで鍵をかけた部屋の中に泥棒に入られ、カメラと一緒にパソコンも失われていたので、ネット予約はできず、どうやって予約できたのか記憶にない。何はともあれミラノ 見物と皮の鞄の土産は買うことができた。また、AMEXのカードを持っていたおかげで、盗難保険がおりてパソコンもカメラも後日に幾ばくかのお金がAMEXから振り込まれたことを特記しておきたい。(イタリアの警察で盗難証明書を作るのに半日かかった)

次の話はドイツのフランクフルトである。フランクフルトには巨大な見本市会場がある。東京で言えば昔の晴海の展示会場、今なら東京ビッグサイト、幕張メッセやパシフィコ横浜などが思い出されるが、フランクフルトの会場は欧州全域から集まるので、日本のそれと比較して数倍の規模があるので全部を観るのに数日間を要するくらいである。飛行機は午前中に到着したので、当日はかなりの時間が取れる。飛行場のロビーにはホテルやレンタカーのカウンターの他に、「ライン川クルーズ」のカウンターがあって、上司は早速川下りの手配を私に命じた。

そのカウンターに向かい、尋ねてみると看板は上がっているが冬のシーズンオフに入ったばかりでツアーはないとのことだった。そのことを上司に説明すると「なんとかしろ」と無理難題を言う。私もドイツに来る機会など何回もない筈なので、カウンターの若い男性に無理を吹っかけた。すると船には乗れないが、ライン川に沿った街道を暫く走ってもらうことで話がついた。

乗せてもらったのはハイエースくらいの小型のバンで、どこが目的地かも知らさせず時々みぞれの降る道を走った。途中、マクドナルドのドライブスルーでランチを摂り、着いた街の名前もわからない。しかし絵に描いたような石畳の坂道に尖った屋根の家が並び、街の背景の山は葡萄畑である。ハーメルンの笛吹きとかブレーメンの音楽隊が出てきそうな街である。そこで二合瓶ほどのワインを二本購入して空港に戻ったのである。ちなみに上司は絵葉書を数枚買っていた。あとで聞くと、旅先で友人知己や新類縁者に現地の絵葉書を送ると大変喜ばれるとのことであった。

その街の名前は思い出せないし、当時の案内書やメモもない。購入したワインも飲まずにしまっておいたらどこかに行ってしまった。あの街はどこだったのだろうか。何かの折にふと石畳の坂道や石造りの壁を思い出すのである。

その後、月落ち星巡り幾星霜、個人旅行で遅い春にライン下りをすることになった。観光バスで到着したクルーズ船の港はリューデスハイムという街で、なんとあのみぞれの降る石畳の街であった。そこで今度はワインを買わずに絵葉書を買い、船の出る前に上司宛に思い出を書いて投函したのであった。

参考:うぞうすい

http://flyingfish.work/2017/06/11/鰻の雑炊「うぞうすい」のお店%E3%80%80|%E3%80%80わらじや%E3%80%80/

おまけ:リューデスハイム

https://tabippo.net/rudesheim/

タナキン

北山ユース開所366日目から宿泊して、皆さまに育てられた大昔のホステラーです。 京都の寺社仏閣の全数踏破を終え、次に季節毎の拝観を実施中。

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