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清浄歓喜団

  
  
  

たなきんです。

 昨年、投稿した「和菓子の話」で少し触れた日本最古の和菓子「清浄歓喜団」を入手したので、感想などを記したい。以前に賞味した筈であるが、寄る年波で記憶が薄れてしまっていたので再購入したのである。

 扱う店は、四条通りを八坂神社で突き当たって南に折れた直ぐ西側にある「亀屋清永」の1店舗のみである。しかし、今回は横浜タカシマヤ「銘菓百選」のコーナーで毎月20日に入荷することを知り、朝十時の開店とともに売場に馳せ参じた。先週は「横浜タカシマヤ」のJR横浜駅を挟んだ向こう側にある「そごう横浜店」の「京都老舗の会」へ急行して「塩芳軒」の和菓子や「田丸弥」の煎餅などを買い込んでいるので、京都マニアの私は忙しいのである。

 なお、売り場には「阿闍梨餅」や「笹屋伊織」のどら焼き、「虎ノ門岡埜栄泉」の豆大福などが行列を作っていたが私はそれらには目をくれずに「清浄歓喜団」の一箱だけを買い求めたのである。

 さて、写真をご参照願いたいが、黒の箱のフチが金色に塗られていて、製品名も金文字で印刷されている。どこか夜の関係のスタミナ・ドリンク剤を彷彿とさせるパッケージである。しかも、「歓喜」という文字がナニモノかを惹起させるという見立ては考えすぎであろうか。

 その箱を開けると由緒書きと透明の袋に入った清浄歓喜団が一つ出てくる。一緒に撮ったボールペンの大きさでサイズはわかるだろうが、巾着袋のしぼまった部分がくるくると巻かれていて、しかも八つの数に揃えられている。これは実に作るのに手間がかかる御菓子であることがわかるのである。

 清浄歓喜団の由来は、読者諸兄が各自買い求めて頂き、包装箱の中にある由緒書きを熟読玩味頂きたいので、敢えてここに書き写すことはしないが、遣唐使が持ち帰った菓子で、比叡山延暦寺、教王護国寺(東寺)という密教のお供物としてあったと言われており、その昔は到底我々市井の庶民の口には入らない貴重なお菓子であったらしい。それが、現在は上洛せずともデパ地下で簡単に買えるようになったのは実に慶賀の至りである。

 油で揚げてあるので皮がとても硬いことは以前の投稿に書いたが、由緒書きによると巾着の底の部分を押すように力をかけるようにと書いてあるが、果たしてうまく割れない。

 また、巾着形の菓子の中身は、栗、柿、杏など果物だったが、江戸時代に入り小豆に変わったらしい。そのアンコの部分を口に含むと何やら漢方というか仁丹くさい香りがする。成分表には「桂皮」とあるので、それが香りの元になっているのであろう。

 まあ、馴染みのない香りのするアンコと固い皮をジャリジャリと噛みしめながら、両方の眼を閉じて、最澄伝教大師と空海弘法大師の密教を巡る確執の物語を思い返して見るとなにやら笑みが浮かぶのである。

タナキン

北山ユース開所366日目から宿泊して、皆さまに育てられた大昔のホステラーです。 京都の寺社仏閣の全数踏破を終え、次に季節毎の拝観を実施中。

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