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お茶の話

たなきんです。いつもより長文です。

「京都 栂尾 高山寺、恋につかれた女がひとり」と書き出してしまったが、みなさんは高山寺にはどういう想い出があるだろうか。家族を連れて夏の青葉茂れる山道の階段を昇り、国宝・重要文化財「鳥獣戯画」、正しくは「鳥獣人物戯画」を拝見した。ウサギとカエルが相撲している絵が有名だが、甲乙丙丁の四巻のうち、後半の二巻には鳥獣は出てこず人物が描かれている。人物画の中には、賭け事で負けて段々と裸にされていく男の姿が描かれており、野球拳で負けて裸になる昔の日本テレビ系某番組を思い出して人間の営みはそんなに変わらないのだなあと思ったものである。

さて、その鳥獣戯画(略称)を眺めた後に、説明を読み進めると高山寺にあるのはコピーであって、本物は国立博物館に所蔵されているとあった。わざわざ、東名高速、名神高速を走り、周山街道の登りカーブを抜けてきたのにまったくの腰砕けである。

そして、日本最古の茶畑も高山寺の見所のひとつである。栄西禅師が宋から持ち帰った茶の実を育てて今に至るのである。重いモノを大勢で運ぶ時のかけ声「えいさ、えいさ」というのはこのお坊さんの名前から来たという話をどこかで聞いた覚えがある。

なにはともあれ、お茶は修行中の眠気を払う効果があるということで珍重されたようである。この話を聞くと西田佐知子の「コーヒールンバ」を思い出さずにはいられない。「昔アラブの偉いお坊さんが」で歌詞が始まっていて、この歌もお坊さんが出てくる。ただし、コーヒーの霊験はこのルンバによると修行の妨げになるようである。なにしろ歌詞の続きには「たちまち男は若い娘に恋をした」とある。

閑話休題。私の生家は大家族であったので、お茶の時間には大きなテーブルに漆塗りの大きな菓子鉢が出され、そこに煎餅やら饅頭が入り、白菜の漬け物の鉢もあって楽しい時間を過ごした記憶がある。そして当時の我が家におけるお茶の消費量は相当なものであったと偲ばれるのである。

また、隣家はカレーライスもラーメンも出す普通の日本蕎麦屋であり、その二階には大きな茶箱があった。茶箱というのは杉や桐でできた大きな箱の内側に、防湿のためトタンを貼ったものである。まあ、蕎麦屋で出すお茶を大量に購入すると茶箱で運ばれてくる時代があったのである。一方、家庭用のお茶は贈答用に茶筒で買うのを別にして、チャック付きアルミパックのない昔の時代はどうしていたのであろうか。

長いマクラが終わって、ここから本題に入る。

かなり以前の話である。京都寺社仏閣巡りのついでに、ある日のこと寺町通二条下ルの一保堂本店に夕方近くになった頃に入ってみた。店名を白抜きで染めた大きな店頭暖簾の内側は薄暗く、黒塗りの大きな茶筒が並び、初心者を圧倒する威厳があって、こちらの気後れを悟られないようにお煎茶を購入した。老舗の雰囲気に呑まれてしまったのである。まあ、自分で茶葉を買うのも生まれて初めての経験であった。

それから数日後、横浜三越百貨店の地下に行くとあの一保堂のお茶が並んでいるのではないか。そして、横浜高島屋、横浜そごうの地下にも一保堂があることを知ったのはそれから程ない時期である。こうなると、煎茶の安いものからある程度高いものまで順番に買ってみたり、玉露やお抹茶も試してみることになる。そして、一保堂のお煎茶「日月」と夏季の「宇治清水」は我が家の常備茶になったのである。

さて、お茶に加えて寺社仏閣巡りの間にグルメにも少しは手を出すようになり、銀閣寺近くにある「草喰なかひがし」に入った。そこで焙じ茶の発見があった。以下は某グルメサイトへの投稿のコピーである。

*************ここから投稿の文章*************

京都の某料理店で喫した焙じ茶があまりにも香り高く、味が深かったため、不躾にも女将へ仕入れ先を尋ねる暴挙に出た。

そして、食事が済むと一目散にその店へ向かった。その店は、失礼ながら外観は間口二間の古い小店舗で、高齢の店主が一人で頑張っている店だった。

しかし、美味いものは美味い。寺町一保堂の岩清水に相当するお抹茶にお砂糖を入れた一品「商品名:抹茶砂糖」も試飲し、直ぐに膝を叩き一袋贖うことにした。

ここのご主人がご自分で自らお茶を粉にひいて作られているので量は望めない。

ここのご主人にお子さんはいるが、店のあとはつがないようだ。ご主人の長寿を願って止まない。

また、来ます。京都に来たら必ず買いに来ます。

*************

ここの焙じ茶は、サミット会議が開催された某ホテルや、予約の取れない某和食店に採用されている。つまり、主要大国の大統領や首相と同じお茶を召し上がることができるのである。

私は上洛するたびに、烏丸丸太町通西入のこの店舗を訪れ、宇治茶の話などを伺うのである。茶畑の山の斜面の方角(南斜面とか)でお茶の味が違う。言われれば当然で、千利休が茶室をあつらえる時に、柱などに使う材木の採取に際して山と山の斜面を指定したとかしないとかの話を髣髴とさせるのである。

ここのご主人は齢九十を越え、なお矍鑠たる物腰であるが、店を継ぐ者がいないと伺った。

*************ここまでが投稿*************

さて、烏丸丸太町の角のマクドから徒歩1分のこの店へは、京都へ行くたびに焙じ茶を買いに行くようになった。ついでにiPhoneの充電もして、各種のお茶も試飲し、そしてご主人の話を伺うのも楽しみになった。京都人特有の毒舌を聞くのも楽しく、抹茶も買うようになった。そして、いつしかこの店の焙じ茶と抹茶は常備茶になってしまい、郵送で取り寄せるようになっていた。

流石に信用を重んじる京都らしく前金制ではないのだ。FAXで注文すると届いたお茶に請求書が同封されていて、その後に入金するのである。もしも入金が滞るようなことがあれば、私の名前は京都中に知れ渡って色々と不都合なことが起きるに違いない。そうこうするうちに、奥様に先立たれ、御店主ひとり暮らしになった。近所に娘さんがお住まいのようで、時々は店に顔を出すお孫さんに逢ったことがある。

そして、昨年末にいつもの発注書をFAXで送ったところ、一ヶ月経過してもまったく音沙汰がない。当然ながら彼のスマホは留守電になっているか、電波の届かない状態というアナウンスが流れるだけである。ご主人は高齢であるかことから、心配になって京都の知り合いに店の状態がどうなっているか確認をお願いした。

すると店は、木造の古い構造でシャッターなどないのでガラス戸を通して覗いてみると異常はなく、何の貼り紙もされていないとのことである。さらに京都のお茶の店の業界団体にも問合せ頂いたところ、あの店は如何なる団体にも属しておらず情報はつかめない。但し、店の状態はいつもと変わらないということであった。

当然ながら、心配している由のFAXも送った。流石にあの店の顧客である料理店にまで問合せの電話はしなかったが、気をもむ日々が二ヶ月以上も続いたのである。そして、3月の末になって電話があった。当の茶舗のご主人からで、元気な声が聞こえた。なんと転倒して腰骨を骨折、病院に運び込まれて動くことも出来ず、ようやくリハビリの段階になり携帯電話を使えるようになったとのことであった。

4月の中旬には注文頂いたお品を届けしますということであったが、本日は四月二十日。まだ、焙じ茶と抹茶は届いていない。

タナキン

北山ユース開所366日目から宿泊して、皆さまに育てられた大昔のホステラーです。 京都の寺社仏閣の全数踏破を終え、次に季節毎の拝観を実施中。

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