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中学の修学旅行

古い時刻表が出てきましたの後に書いたのですが公開しているつもりでしたが、下書きのままでした。「大仙院冊子」に日付大仙院冊子

 今回は中学の修学旅行関連の物が見つかりました。
 私が初めて京都に行ったのが中学3年の修学旅行で京都・奈良2泊3日でした。初日は京都駅に着いてバスで奈良に向かったと記憶しています。京都から奈良までの往路で平等院に寄った(と思います)。
 二日目、奈良から京都に戻り、バスは堀川通を上がって二条城、大仙院(大徳寺)、鹿苑寺(金閣寺)の順で行ったかと思われますが、順番の記憶はありません。また、大仙院で(価格が記されていませんが)購入または配布?された冊子に自分で押したと思われる日付のスタンプがあります。5月12日は月曜日なので修学旅行は5月11日(日曜日)~5月13日(火曜日)に行って水曜日は日曜日の代休で休みだったかも?『京都』1979年7月号(白川書院新社)

 宿は「加茂川荘」という名前を記憶しています。夕食後に新京極に行くときに三条大橋を渡ったことを覚えています。小、中学校時代の同級生に聞いたところ三条京阪の裏に行った所だったとのこと。時刻表1982年1月号に「日本観光旅館連盟会員旅館・日本交通公社協定旅館」の【二条・三条地区】欄に掲載されていましたが、電話番号だけで住所はありません。昭和54年7月号の京都(現『月刊京都』=当時は月刊の冠はなくただの『京都』で、定期購読の案内に月刊誌「京都」と有)の【安心して泊れる京の宿】<※「泊まれる」ではなく「泊まれる」でした>という欄(広告)に加茂川荘が載っていて“大和大路通三条下”とありました。  三日目は清水寺、三十三間堂に行ってから帰途に就きました。また、平安神宮や西陣織物館等にも行ったような気もしますが定かではありません。

修学旅行のしおり 関西の旅(編者 全国中学校修学旅行研究会) 「修学旅行のしおり 関西の旅(編者 全国中学校修学旅行研究会)」という冊子にこづかい帳や修学旅行アンケート、自由のページというメモ等に使うという白紙ページなど巻末にありますが、現在と違って歴史・寺社や仏像にも全く興味が無かった落ちこぼれ中学生でしたので、裏表紙に氏名など書く欄に書いているだけ(学校で書くように強制されました?)でした。
 ちなみに二度目の京都は四年後の昭和48年で以後毎年上洛しています。

Neko

「新 Kitayama YH fan network community!」管理人です。

1件のコメント

  1. 「歴史・寺社や仏道にも全く興味がなかった落ちこぼれ中学生」という記述がありますが、中学生でそっち方面に興味があるなんてのは普通ではありません。私の初上洛は高校の修学旅行でしたが、地歴部の同級生の背中を見ながら馬鹿話をしてただただ歩いていた記憶があります。
    そして修学旅行で最大の想い出は、深夜放送のパック・イン・ミュージックの投稿を真似て、深夜に寝ている友人の顔を黒マジックで塗ったことです。塗っている最中はおかしくて笑いをこらえるのが大変でした。
    宿泊は、今も三条通で営業している「日昇別荘」です。通りに面した二階の部屋なので、その前を通るたびに深夜の黒塗り作業を思い出します。

    ただ、この時に観た醍醐寺の五重塔の美しさに魅入られて、その後の「京都狂い」に繋がりました。(当時、修復直後で丹塗りがピカピカでした)

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