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桜を愛でる

たなきんです。いつもより少し短い文章です。

いよいよ桜の季節になりました。皆様はどのような観桜計画を立ててらっしゃるでしょうか。私は趣味の乗り鉄も兼ねて名古屋から南下して伊勢鉄道、伊賀鉄道を乗った後に奈良に出て、翌日の早朝に吉野山に登り千本桜を眺め、翌日に奈良線で上洛、古都の春を愛でる予定です。

さて、昭和の戦後、東京に育った私は玉川上水の歴史とともにその玉川上水に沿って植えられた桜並木の話を聞かされていました。徳川幕府が開いた江戸は、日比谷公園の場所まで海であったので、井戸を掘ると塩水が出てきて飲用に適しません。そこで、多摩川の上流から玉川上水という水路を穿ち、江戸の街に水道を引いたのであります。ちなみに「玉川」は水をひいた「多摩川」とは関係がなく、水路工事を監督した玉川兄弟の名前によります。

JRの総武線に水道橋という駅がございます。まあ、後楽園球場があるのでご存知の方が大半だと思いますが、駅から球場に向かう時に大きな堀を渡ります。これは江戸城の外堀だったのですが、玉川上水がこの堀を渡るために「水道橋」が作られたことから駅名とされているのであります。

また、玉川上水は太宰治が愛人とともに入水自殺した場所としても有名ですが、小学生の頃に現場まで見に行った場所は水量も少なく、本当に死ねるのかと疑問に思ったものであります。まあ、彼の自殺は桜の散った桜桃の季節なので「桜桃忌」として今でも愛読者が命日に墓前へ集まりますが、太宰も確実に玉川上水の桜を見上げていたに違いありません。

話は元に戻ります。私の小学校には戦闘機の飛燕に乗っていたなんて先生がおられた時代ですので、太宰治と同年代の方が多く、玉川上水の桜の見事さも教えて貰っていたのですが、中学生になって行動半径も広がり自分で自転車に乗り現地に行ってみると朽ち果てた桜ばかりで、幻滅を覚えた記憶があります。つまりは桜の寿命が尽きたのですね。植えられていたソメイヨシノは人間とほぼ同じで、だいたい数十年の寿命だということです。

ところが最近になって京都は高瀬川の桜、護岸工事も兼ねて半分近くがばっさり伐採されるという話が飛び込んで参りました。御池通から五条に至るまで春の季節に歩いたり、または料理店の窓から望む桜は水面の煌めきと合わせて実によい気分にさせてくれたあの桜がなくなってしまうのであります。そしてその桜もソメイヨシノ(染井吉野)だそうです。

なんでもソメイヨシノは「江戸彼岸桜」と「大島桜」を掛け合わせたもので病気に弱いので「神代曙」と「小松乙女」に植え替えられるようであります。皆様がご存知の嵐山の桜もソメイヨシノ、円山公園の中央の桜以外の桜もソメイヨシノ(エゾヤマザクラもあります)、清水寺の桜も多くはソメイヨシノ、哲学の道の桜も殆どがソメイヨシノ。賢明なる読者の皆様はもうお気づきですね。

皆様のご覧になっている古都の桜は古くても江戸時代に遡れないのであります。なにしろソメイヨシノは江戸時代末期か明治の初期に作られ、正式に名前がついたのは明治33年という記録もあります。古くから歌に詠まれた桜はヤマザクラであり、吉野山の桜もヤマザクラなのですが、現代の桜の名所の多くはソメイヨシノが植わっていているのです。

なんだか、がっかりしたされた読者もおられるようですが、このソメイヨシノには二つの大きな特徴がございます。まずは花が派手なので見応えがあること。だから全国に広まったわけであります。そして、クローン桜(全国のソメイヨシノは皆兄弟)なので、同時期に咲いて同時期に散るのであります。開花だけでなく散る桜も愛でることができるのであります。

世界中で、開花予想を楽しむ国は日本しかありません。沖縄から桜前線が北上し、弘前や五稜郭の桜をニュースで知り、実際に現地で愛でる楽しみもあります。今はソメイヨシノを作った方、それを全国に植えた大勢の方々に思いを馳せる時期でもあるのであります。

タナキン

北山ユース開所366日目から宿泊して、皆さまに育てられた大昔のホステラーです。 京都の寺社仏閣の全数踏破を終え、次に季節毎の拝観を実施中。

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