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泉涌寺塔頭雲龍院

たなきんです。いつものように長文です。

さて、臨済宗総本山の東福寺といえば紅葉の名所、桜の木が一本もないことは読者諸兄もご存知であると思います。その周囲には数多くの塔頭があり、三月末から四月初めは光明院のしだれ桜、六月には天得院の桔梗が実に見事であります。今回はその東福寺の隣の泉桶寺塔頭の一つ雲龍院を訪ねたので一筆湿らせたいと存じます。

まず、近鉄の東福寺駅からiPhoneのMapアプリで雲龍院への道を辿ると、それは私にとって初めてのルートでした。しかもそれが本来の泉涌寺参道であったことに気が付き、京都通を自認する私はとても恥じ入りました。いつもは東福寺見物のついでに泉涌寺へ立ち寄っていたので、玄関ではなくお勝手口から入る失礼を重ねていたのでした。そして、参道の左右に塔頭が並び、途中に幼稚園や中学校もありますが、その園庭や校庭もその昔は塔頭があったに違いなく、泉涌寺も大きなお寺であることが偲ばれます。

なお、泉涌寺のお馴染みの写真は大門から坂の下にある仏殿を見下ろす俯瞰の構図ですが、雲龍院はその大門の前を過ぎて直ぐ、泉涌寺仏殿の南の山の上に位置します。ここにお参りした理由は日本放送協会のテレビ番組「京都人の密かな愉しみ」で雲龍院の「走り大黒天」が紹介されていたので聖地巡礼というワケであります。初期は常盤貴子さん、最近のシリーズは京都出身の吉岡里帆さんが出ていることも欠かさず視聴している理由ですが、古都の彼方此方をロケ地としていて、あの場面はあの店だ、あの寺は行ったことあるぞとほくそ笑む楽しみもあるのです。そして雲龍院もこの番組で知ったのです。

そして、この雲龍院がロケ地となった回では、「立岩電機」のOLさんに恋した男性が食事に誘い、その後にタクシーで自宅まで送っていったら、そこが雲龍院であり、そのOLさんはそこの跡継ぎでお婿さんをとらなければならないご身分だったことが判り、煩悶するというあらすじでした。そして大団円(最後の場面)にここの「走り大黒天」が出てくるのであります。残念ながらこの大黒様は撮影禁止なのでこのサイトに投稿できませんが、詳しくはウエブで。

ようやく、ここから本編に入ります。いきなり結論から述べます。このお寺にお参りして感心したのはプレゼンテーションの巧みさであります。最近の流行り言葉を使うと「あざとい」のであります。例えば、「勅使門」の説明は「天皇のお使いがお通りする門」などと軽く書かず、「近年では常陸宮妃華子殿下がお使いになられた」との一言が添えられ、テレビ朝日系の皇室ニュースのファンならずも、昭和生まれの爺には華子さまのご尊顔が頭に浮かんでくるのであります。

慶喜公の灯籠

庭に植えられた高野槇(こうやまき)の説明は「秋篠宮家にご誕生された若宮『悠仁さま』のお印の木」とこれまた、くすぐるのであります。この説明書もあと少し経てば「今上陛下のお印の木」となって、さらに一層箔がつくのは必定であります。なお、苗木であれば高野槙は3000円で入手可能。

また、最後の将軍である徳川慶喜から寄贈された灯籠も庭の片隅におかず、勅使門から入った庭の中央に白砂を敷き、その中央に配置します。さらにその灯籠を中心に白砂で菊花紋の模様を描いております。これは実にバエます。当然のことながら勅使門から入るとこの菊花紋を踏むことになるので、その際にはそのデザインを消すのでしょう。また、「徳川慶喜から寄贈」と書きましたが、寄贈した相手は孝明天皇で、その御陵にあった灯籠を幕末の混乱時に薩摩藩が放り投げたものを当時の住職が取りに行かせたという逸話もさりげなく説明書に載せています。「二条家の血筋であった当院の住職が」とさも理由があるようなことを書いていますが、二条家の斉敬が孝明天皇の補佐役で厚い信任を得ていたという関係であり、何か曰く因縁があるわけではないようです。

今となっては懐かしい北山ユースへの最寄りバス停の名前にもある源光庵には、大きな丸窓の「悟りの窓」と隣の四角の「迷いの窓」があって有名ですが、雲龍院にも「悟りの窓」があります。この丸窓については言を尽くすより写真をご覧になるほうが宜しいと思いますが、雲龍院の四角の窓は4個も並んでいて、そのひとつひとつの窓の外には、梅、灯籠、楓、松が配置されていて四季折々に目を楽しませてくれます。この四角窓は障子に嵌め込まれたガラス窓なので、そんなに歴史は古くないと思われますが、令和生まれの観光客にはそんなことは判らないのではあるまいかと思うのであります。

   悟りの窓   しきしの景色

私が始めて水琴窟の音を聴いたのは妙心寺退蔵院で、その涼やかな響きに唸った記憶がありますが、圓光寺や永観堂、宝泉院、醍醐寺、正法寺にもあり、そしてこの雲龍院にもあるのです。目だけでなく耳も楽しませる「おもてなし」の企てが心を打ちます。なおここの水琴窟は「龍淵のさやけし」と名付けて、龍の息吹が聞こえますか?との説明がありました。

さて、ようやく「走り大黒天」の話に辿り着きました。なるほど、我々日本人の大黒様のイメージは二つ並んだ俵に乗り、肩に宝の入った袋を担ぎ、右手に小槌を振り上げて頭巾を被ったニコニコ顔の太った好々爺の姿である。しかし、ここ雲龍院の庫裏にある大黒様は、小槌を持たず左足を一歩踏み出して、眉毛を寄せ目を見開いて口をかっと開け、誰かを叱咤しているようであり、憤怒相と呼ばれております。目に水晶が嵌め込まれ、開いた口の中の歯まできちんと彫られていて生々しく感じます。

実は奈良にも別名「走り大黒」と呼ばれる「伽藍神立像」があって、近年にそれは「監斎使者」と呼ばれていたことが判明したそうです。「監」は監督、「斎」は精進潔斎です。つまりは禅寺で修行僧の食べ物を守る神様なのですが、修行を怠る僧にはきつい戒めを与えたそうな。

蛇足ですが、雲龍院の参詣を終えてから東山通りに出て、市バスで清水道か東山安井のバス停で降りて清水寺に行くと典型的な大黒様が祀ってあり、ミニチュアの仏像も販売されておりますので、比較対照してみるのも一興かと思います。なお、清水寺には立像でなく広隆寺の弥勒菩薩像のように半跏趺坐の大黒様もあることを書き加えて、筆をおくことにする。

追記:

2023年4月10日(月)から毎日午前11時15分、BS-NHKで「京都人密かな愉しみBLUE修行中」が再放送されるので、録画をお勧めします。

https://www.nhk.jp/p/kyotojin/ts/QZX3374J5J/schedule/?area=260

タナキン

北山ユース開所366日目から宿泊して、皆さまに育てられた大昔のホステラーです。 京都の寺社仏閣の全数踏破を終え、次に季節毎の拝観を実施中。

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