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阪急百貨店

たなきんです。いつもより少し短めの文章です。

四条河原町のマルイが撤退するとの報道があった。ご存知のように阪急百貨店の跡にできた店である。

マルイは東京の中央線中野駅近くの小さな月賦支払の百貨店であったが、1970年頃に「PLAY,NOW. PAY LATER」というキャッチフレーズで若者の購買意欲を高めた。頭金として定価の10%を支払いすれば、欲しいモノが手に入るのである。さらにはキャッシングもできるマルイカードを展開した。お金がなくても買い物ができるだけでなく、遊興飲食費も貸してくれるのである。飛ぶ鳥を落とす勢いで、新宿の三越デパートと伊勢丹百貨店の並ぶ通りに新店舗を建て、さらには第二店舗まで出す勢いのある企業であった。

さて、このマルイにとっては初の関西進出であり、ターミナルデパートであった阪急百貨店の跡を埋める店舗としてマルイの開店当時は幾ばくかの期待感があったかも知れない。

しかし、マルイの進出については、色々と議論があったらしい

成程、四条河原町の交差点を渡る人の殆どが観光客であり、京都市内の大学学部生比率は6.1%(平成23年度)と高く、彼らの購買力は比較的低い。

競合の大丸や高島屋はどうかというと、かの新撰組は「大丸」であの浅葱色で袖に黒のギザギザ模様のある制服の羽織をあつらえたという話があるくらいなので、古くからの個人法人の固定客を掴んでいる。学校を含む法人の制服や家具調度品、中元歳暮冠婚葬祭土産や就任祝など法人需要は根固いものがある。

また、今でこそ京都駅の伊勢丹に規模と品揃えで越されてしまったが、京都の土産ものは意外にも高島屋の地下で揃うことが多く、しかも比較的高額なものが多い印象があった。こういう下地が高島屋や大丸にはあったのかなあと想像するのである。

そこへ、関西圏では殆ど無名のマルイが徒手空拳で乗り込むのは無理があったのではないかと愚考するのである。当時は阪急の跡地には河原町通りを挟んだ向かいにある高島屋が進出するとの噂もあった。渋谷の西武百貨店のように道路を挟んでA館とB館にするという話である。

阪急が店仕舞いをする頃には百貨店という業態が斜陽になりつつある時代に入っていた。前述したが、かのマルイも自社物件の店を畳んで、名店街形式のテナント貸しに切り替えている例も多々ある。因みに東京郊外でJR横浜線と小田急電鉄が交差する町田駅前では大丸百貨店がマルイになり、次にマルイがモディというテナント方式の業態に切り替えている。

閑話休題、思い起こすと40年を超える阪急とマルイの店内に足を踏み入れた記憶は殆どない。ただ、阪急前の四条河原町の京都駅行きのバス停は数え切れないほど利用した。京都駅行きということは旅の終わりである。暮色増す交差点から河原町通りの北側を望み、薄緑の地に濃い緑のリボンの入った市バスの車体を見つけ出し、次にはバスの表示番の行先を確認するのである。205番しか記憶にないが、調べてみると4番や104番もあるようだ。

やって来た市バスは私と同類の観光客でギューギュー詰めであり、乗りそびれて見送ったこともある。

報道によると撤退したマルイの跡に入るテナントは未定ということである。損切りしたマルイはともかく、家主の住友不動産は大変だなあ。

「たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を競える、高き、卑き人のすまひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり」

鴨長明の「方丈記」の冒頭一部を書き写しておく。

タナキン

北山ユース開所366日目から宿泊して、皆さまに育てられた大昔のホステラーです。 京都の寺社仏閣の全数踏破を終え、次に季節毎の拝観を実施中。

7件のコメント

    1. ビックカメラかドンキホーテでしょうね。

      四条河原町の特徴を考えれば、全館を京都土産売場と食堂街にして、場所が余ったら祇園祭、葵祭、時代祭の祭具や写真を並べた「祭り博物館」かなあ。

      食堂街も今宮神社の「あぶり餅」、上加茂神社の「焼き餅」など京都色溢れる店の出店を希望したい。私は行かないけどね。

  1. 何人かの人はご存知ですが、イノダコーヒーで珈琲職人として地元の著名人だった猪田彰郎さんが11月5日に逝去されました。故筑紫哲也さんや阿川佐和子さんにもひいきにされ、入洛の際には必ず三条店の丸テーブルで歓談されたたということです。謹んでお悔やみ申し上げます。

    1. 「イノダアキオさんのコーヒーがおいしい理由」という本まであるのですね。苗字から推察できますが、イノダ創業者の甥にあたる方で、三条店の初代店長。私は本店ばかり通っていましたが、時に、三条店の円形カウンターに向かい、コーヒを淹れる店員さんの所作を眺めることも好きでした。

      ご冥福をお祈り申し上げます。

    1. はしもと珈琲、今宮神社への参道の角ですね。

      開店当時、北山のとうさんがユースのミーティングだったかで「イノダから独立した人たちが創業した」という話を伺った記憶があります。

      来週の上洛では東山周辺を徘徊するので行く機会がないけれど、飲食店ブログ「Retty」の「行きたい」に登録してあるので近いうちに伺います。

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