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全数踏破への道 2

たなきんです。いつものように長文です。

小生は足掛け45年間もかけて京都を巡り、既に300を超える寺社仏閣高楼庭園遺跡墳墓を見物して、残りは両手両足で数えられるところまで減ってきたことはご存知と思います。前回「全数踏破への道 1」では、洛北の大原にある未踏の二つの御陵をご紹介しましたが、今回は残りリストの三番目から五番目までの「まだ踏みもせず」の場所をご紹介したいと思います。

なお、残り物なので皆様がご存知のお寺や神社が出てくる筈もないのですが、そこは長年のブラブラ歩きと文献調査で仕入れた知識をご披露しますので、読者各位には「へえ」とか「ガッテン」のボタンを押してもらうことができれば幸甚の至りであります。

まずは、「伏見」の地図にある「新念仏寺」であります。因みにYahoo!で検索してもGoogleで検索しても「新念仏寺」は出て来ず、「愛宕念仏寺」や「化野念仏寺」ばかりが出て参ります。そこで「念仏寺 京都 十条」で検索するとようやくヒットします。蛇足ですが、東寺の近くにも「念仏寺(念佛寺)」がありますのでお間違えなきようお願い致します。

その場所は河原町通り(国道24号線)が十条通りにぶつかってT字路になったあたりで、南区東九条柳下町がそこの番地で、お寺の名前に「新」がついておりません。マップを作った平凡社の誤植なのか、途中で改名したのか、俗称なのか不明です。通常は非公開ですが、時々特別公開があるようです。

実は、既にこの寺の前まで行って、非公開だったので諦めて京都駅に向かって歩き出したことを思い出しました。まあ、中には入れませんでしたが、行ったことにしたいと思うのであります。さて、この鴨川の西側の九条のあたりは、京都に詳しい方はご存知と思いますが、故事来歴があって国道の両側は非常に殺風景で、少し路地に入るとさらに殺風景になってきます。私はお好み焼きの「珠ちゃん」という店で空腹を満たして駅に向かったことを思い出しました。市バスが走っていますが、どういうわけか極端に本数が少ないのでご留意下さい。

さて、「愛宕(おたぎ)念仏寺」は嵯峨野の奥の羅漢石像で有名なお寺であることはご存知だと思います。実はこのお寺、1922年(大正11年)になんと祇園建仁寺の南側から移転したことを2020年の今年になって知りました。松原通り沿いの北側に「愛宕念仏寺元地」という石碑が建っております。また、個人宅の敷地内に愛宕観音堂が残っていると岩波新書「京都の歴史を歩く」に述べられております。また、この新書によれば移転は大正14年とありますので、先ほどの大正12年説とは異なります。まあ約百年も経つと移転の時期まで諸説が出てくることに驚くのであります。年のため、Google Mapで確認すると松原通りの岩崎ガラス店の向かい側に「愛宕念仏寺元地」という印があって、ストリートビューで件の石碑を確認することができます。

いつものように紆余曲折、右往左往、発散しまくりの投稿ですが、次の目的地は「後白河天皇陵」です。三十三間堂の東門を出た正面に「法住寺」という寺があり、その奥に御陵がございます。その御陵の北側にある法源院には足を運んだことがあるのに、御陵の存在には気が付きませんでした。なお、「法住寺」は彼の時代には御所であった時期がありますが、彼は政変で洛南の鳥羽に幽閉されたり仁和寺に監禁されたりと忙しい時期もあったのですが、戦火に焼けた法住寺を再建した年にそこで生涯を閉じています。

後白河天皇を改めて調べると保元・平治の乱、治承の乱の渦に揉まれた方で、平清盛や木曾義仲、源義経、頼朝が同時代の人物といえば想像がつくが、歌が好きで歌い過ぎて声が出なくなったこと三回という逸話も残されています。何度も政変に巻き込まれていますが、三十三間堂(蓮華王院)を造営したことで知られております。その千体仏を祀る寺の前にお墓があるのは彼にとって本望ではなかったのかと思うのであります。

最後が「新善光寺」で同名の寺は東京、横浜、札幌など各地にあって、信州長野の善光寺の支店営業所の位置付けのようですが、京都のそれは泉涌寺の塔頭の一つとして存在しています。創建当時は一条大宮にあったものの応仁の乱で焼けてしまい、泉涌寺の境内に再建されたとのこと。泉涌寺は天皇家の菩提所として知られていて、真言宗泉涌寺派の総本山ですが、善光寺は無宗派でその関係性に疑問を持ちます。しかし、泉涌寺は創建時より諸宗兼学の道場として、天台・真言・禅・浄土を学ぶ場所でもあったという「来るものは拒まず」という深いフトコロがあったのだなあと思われます。

泉涌寺に参詣する途中の道に面しているので、何回か新善光寺の前を通った筈ですが、全数踏破のためにはまた、JR奈良線か京都市バスに乗らなければなりません。前述の「法住寺」から徒歩圏内ですので、歩くのも苦になりません。ついでに、「ニシダや」で「おらが漬け」を買い込むのも一興でしょう。また、東福寺の青モミジを愛でるのも良いかも知れません。

今回は、新念仏寺、後白河天皇陵、新善光寺の三ヶ所をご紹介致しました。

タナキン

北山ユース開所366日目から宿泊して、皆さまに育てられた大昔のホステラーです。 京都の寺社仏閣の全数踏破を終え、次に季節毎の拝観を実施中。

1件のコメント

  1. 「愛宕(おたぎ)念仏寺」は嵯峨野の奥の羅漢石像で有名なお寺であることはご存知だと思います。実はこのお寺、1922年(大正11年)になんと祇園建仁寺の南側から移転した・・・

    都名所圖會巻之二の「建仁寺」の次の項「蛭子社」のまたその次の項に

    等覚山(とうかくざん)念仏(ねんぶつ)寺は六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)の西にあり・・・

    と記されています。また、愛宕寺の絵もあります。

     

    この新書によれば移転は大正14年とありますので、先ほどの大正12年説とは異なります。まあ約百年も経つと移転の時期まで諸説が出てくることに驚くのであります。

    愛宕念仏寺の公式サイトでは 大正11年となっていますね。

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