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老松の夏柑糖

夏柑糖     夏柑糖の箱

涼やかな半透明のゼリーに匙を挿し込み、口に持っていくとまず独特の香りが急襲してきて、口に含むと少し苦味のある独特の甘酸っぱい夏蜜柑が郷愁を誘うのである。

この菓子をつるりと喉に流し込むと、生家の畳の縁の模様、襖の取手の黒光り、カタカタと鳴る箪笥の引手、柱時計の振り子の揺れなど昭和を生きた者だけが共有できる光景が目蓋に浮かんでくるのである。マルセル・プルーストの小説「失われた時を求めて」の「紅茶とマドレーヌ」の役割を洛北の菓子店「老松」が創り出したのである。

夏蜜柑は江戸時代中期に誕生した文旦の一種と言われており、松蔭の遺跡を訪ねて山口県の萩の街を歩くと、その季節にはあちこちの旧武家の屋敷の庭に生っているのを散見する。明治に職を失った武士が生活のために植えたと伝えられているが、武士の鎧のように硬くて厚い表皮があり、それを剥いても次の白い皮も厚みがあって手強く、さらに実も酸味が強く、甘みを好む現代人には好まれない。

まあ大体にしてそのまま食べることはせず、剥いた実を切子硝子の器に出して上から砂糖をかけて食べたものである。脱線するが、昭和の苺も酸味が強かったので、同じく砂糖をかけて食べた。コンデンスミルクが出回る前の話である。そして、苺が品種改良されて「とちおとめ」など甘みの強い品種に切り替わってきたように、夏蜜柑も甘夏に占有率を取られていくのである。

1973年に35万トンだった出荷量は15年後の1988年には2/3に減って20万トンを割ってしまうのである。20万トンは、2億キログラムになり、夏蜜柑一つ数百グラムということと日本の成人人口は約1億人であるから、日本人が毎年一人の食べる個数は二個より少ない計算になる。

なお、データが古いのは最近の農林水産省が夏蜜柑の統計をとっていないからである。キウイフルーツや西洋梨の統計があるということでどれだけ生産量、消費量が減ったのか察して欲しい。

蛇足であるが、コンデンスミルクを苺に描けて食べるのは、当時の苺の甘みが少なかった昭和の習慣であり、令和の御世でそんな食べ方をする方は稀であろう。

以上はグルメサイト「Retty」に以5月末に投稿した文章であるが、立秋になって京都に縁のある方から「いいね」を頂いたので、ここに転載しておく。

タナキン

北山ユース開所366日目から宿泊して、皆さまに育てられた大昔のホステラーです。 京都の寺社仏閣の全数踏破を終え、次に季節毎の拝観を実施中。

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