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夜行列車

たなきんです。いつものように長文です。

「夜汽車」は死語である。だいたい、今の世の中には観光目的の特別列車以外に蒸気機関車なんて走っていない。さらに夜中に汽車を走らそうと企画する鉄道会社はない。新幹線網の発達によって夜行列車は撲滅されてしまったのである。

まあ、偉そうに夜行列車の文章を書いているこの私も三回しか乗車経験がないし、寝台車に至っては、一回しかない。三段寝台の一番上の段で、列車の揺れが一番大きく感じられたことしか覚えていないのである。もう、花嫁は夜汽車に乗って嫁いで行けないのである。

ところが、日本で唯一現存している夜行列車がある。ランライズ瀬戸とサンライズ出雲である。どちらも7両編成で、夜の22時00分に東京駅を発車するときは連結14両編成となり、翌朝6時27分に岡山駅で切り離して、それぞれに高松と松江を目指す。

新幹線に乗車するには乗車券と特急券の二種類の切符が必要だが、寝台車に乗るには寝台特急券を購入することになる。昔の寝台車には二段と三段の二種類のベッドがあって、当然のことながら料金が異なっていた。

そして、サンライズには、①シングルデラックス、②シングル、③シングルツイン、④サンライズツイン、⑤ソロ、そして低い仕切りはあるものの臨席が丸見えの⑥ノビノビ座席と多彩なバリエーションがある。なお、ノビノビ座席と名前がついているが、椅子はなくフェリーや連絡船のごろ寝部屋に似たようなものである。

①シングルデラックスは、個室に寝台と洗面台、机と椅子が付いていて、飛行機のファーストクラスのようにアメニティキットもあり、シャワーカードも付いてきて至れり尽くせりである。

②シングルは、個室だがベッドと荷物置きがあるだけだが、二階席を選ぶと天井の一部までカーブしたガラス窓で夜空込みの夜景を楽しむことができる。

③シングルツインという矛盾溢れるツインは個室に二段のシングルベットがあり、④サンライズツインは、横並びに寝台がある。⑤ソロは個室だがベッドのみという構成である。

なお、写真は今回利用した②シングルで、グリーン車指定席券とほぼ同じ料金である。ほぼ同じ料金で新幹線の3倍以上の時間を楽しめると考えると3倍もお得ではないかと思うのである。

最近、ニワカに鉄道ファンとなった私は、サンライズに乗る機会を狙っていた。いくら趣味道楽といっても、何の理由もなく東京から松江や高松まで乗り通すことは憚られるので、秋の京都旅行の帰りに乗ることにしたのである。東京発のサンライズは京都も大阪も停車しないのであるが、上りのサンライズは京都には停車しないが大阪には停車する。大阪0時33分発なのである。

京都で適当に時間を潰して新快速で大阪に行けば、なんとかなるとタカをくくっていたが、一軒の飲み屋に長居もできない。かといってはしご酒もどうかということで、京都の銭湯に入った。実は、京都には大正12年創業の歴史的建物である船岡温泉という銭湯に二日前に入ったばかりなのであった。京都の寺社仏閣名所旧跡巡りも極まってきていて、この銭湯も2003年に国の登録有形文化財に登録されているので伊達や粋狂で銭湯巡りをしているわけではない。

閑話休題。2軒目はビルの一階にある立派な銭湯で十分に温まることができたので、かねてから念願の夜行列車に付き物の材料を揃えることにした。なんてことはない、サントリー角瓶のポケット瓶を京都駅のコンビニで買ったのである。夜汽車にはウイスキーのポケット瓶が似合うのである。

一昔前のポケット瓶には透明プラスチックの小さなコップが付いていたのであるが、今は付属していない。まさか瓶からラッパ飲みするのも行儀が悪いので、コップを買おうとしたら薄いプラスチックのものが五個入りで140円という。炭酸水も買ってしまったのでコップが必要なのであるが、5個も使わない。

そこで、じゃがりこを買うことにした。コップの形の容器に入っているので中身を食べてしまえばなんとかコップとして使えるのではないか。じゃがりこは100円なので、安く上がった。

京都から大阪への移動はわざと各駅停車を選び時間を稼ぎ、大阪では線路下にある食堂街で発車時刻を待つことにした。ところが、その食堂街は23時で一斉に閉店となり、とうとう大阪駅の通路のベンチで1時間以上も待つことになった。ホームに上がれば待合室もあるのだが新型コロナ対策でドアが開けっ放しになっている。それなら風の来ない通路のベンチで待つ方がよろしいのである。幸いにして銭湯で温まった身体はまだホカホカであり、ベンチもたまたまクッション付きなので助かった。京都では一度も使わなかったダウンジャケットを膝にかけて発車時刻を待つのであった。

発車時刻が近づいて、ホームに上がると待合室は意外にも空き座席が一つしか残っておらず。密の状態。客層はどう見ても不要不急の旅の格好で私のお仲間ばかりのようである。平日深夜の大阪発の列車には二、三十人が乗り込むようである。

指定券は2号車、つまり最後尾から二台目なのであるが、乗車口の表示のある場所へ行こうとするとホームの途中、3号車の最後尾に当たる場所にそこから先へは入っては行けないという白い柵が立っている。近付いて見ると「特急サンライズにご乗車のお客様はご進行ください。大阪駅長」と書かれた札が白柵に括り付けられていたので安堵した。


大阪駅0時31分着、33分発の14両編成のサンライズの2号車に乗り込んだのは私一人であった。デッキから数段の階段を昇り、入室するとサプライズというか後悔する発見があった。部屋にはコップが備えてあったのである。何もコンビニの棚の前でコップについて悩むことはなかったのである。じゃがりこも買う必要がなかったのである。なにしろ、他にバタピーも一袋買っていたのであるから。

早速、ポケット瓶の蓋を捻りコップに注ぎ、そこに炭酸水を追加し、乾杯。部屋に備え付けの照明や暖房のスイッチを確認しているうちに、大きな電車の車庫が見えてくる。心を無にして眺めていると梅小路の転車台が見えてくる。まもなく京都駅である。人生初の京都駅通過である。照明は煌々と灯っているが人一人いない駅の姿はすぐに消えた。そして、私の意識も山科駅に差し掛かる前に消えてしまった。

目覚めたのは6時ごろで根府川駅の手前であった。コップの中に残ったウイスキーを慌てて飲んだら急に酔いが回ってきた。車窓からは自転車で駅に向かう背広の男性や、ジョギングの老人などを眺めて、町が動き始めている光景を眺めていたら横浜到着。なんでも、夜行列車の醍醐味は、朝になって車窓から通勤客を眺めることだと言い張る者もいるのである。仕事をしなくてもすむ優越感のような、社会と隔絶された孤独感のような不思議な感覚である。

乗車した夜の大阪駅のホームとは違って、到着するのは通勤電車が停まるプラットホームなので通勤客が列をなしている。そこに旅装の、つまり遊びの格好をして降りてくるのは少し気恥ずかしい思いをしたのである。

タナキン

北山ユース開所366日目から宿泊して、皆さまに育てられた大昔のホステラーです。 京都の寺社仏閣の全数踏破を終え、次に季節毎の拝観を実施中。

10件のコメント

  1. 私もお金の無い学生時代の京都行にはN氏と共に大分お世話になりました。所謂大垣夜行ですね。乗車すると二人でボックスを占拠し、即寝たふり。(最低区間の運賃分の切符ですから)検札が終われば後は怖いものなし。(笑)💦 大垣からは京都方面に向かう通勤電車に乗り換え京都に向かう。京都駅のホームでキセルに使用した用済みの落ちている切符を探し、それで差額分の運賃を支払い改札を出るというパターンでした。

    現在では考えられない手法ですよね!

  2. 大垣ダッシュ、懐かしいですね。

    東京駅から乗ると、新宿駅発の小田急線の終電を逃した酔っ払いの会社員が結構、小田原まで乗車していました。終電を乗り逃すまで飲んでいる大人の飲み方に学んではいけないと固く誓ったものでした。まあ、新宿のアマンドでは学生時代に始発電車待ちしたり、終電を逃して夜の青梅街道を新宿から荻窪まで歩いたなあ。

    1. 思い出しました。

      そうでしたね、酔客であふれていましたね。だから私もキセルができたのです!!

      でも折角乗ったのに寝過ごす方も多かったですね。

  3. 夜行列車 良いですねぇ~。でも 最近 夜行と言えば バスになっちゃいましたね。あの鉄路の「ガタンゴトン」という 音を聞きながら 車窓を眺めるのが 好きでした。

    初めて寝台列車に乗ったのは 昭和54年 寝台特急『さくら』でした。新しい寝台列車も 乗ってみたいなぁ。

    https://64.media.tumblr.com/39c9d6810b67b1ba5f40a58dffb1b8e8/161b7a4ef6fe0aa7-bb/s1280x1920/65d0762266ed749b5c51f56d224f7648a6266a12.jpg

    大垣行 懐かしいですね。北山の先輩の方々と 乗った事がありました。東京駅で乗車早々飲み始めて 後から乗ってきた酔客と 一緒に 宴会になった記憶があります。

    たなきんさんの奥様も いらっしゃったんじゃなかったかな?(笑)

    1. 国鉄時代の切符!懐かしいですね。

      マルス端末から打ち出された連続帳票をカットしたものが切符になっていたのですね。

      さて、大垣行きについて愚妻に訊いたところ、乗った記憶はあるが同乗者の記憶はまったく消えてしまったとのこと。認知症が始まったのでしょうか。

    2. 私が乗ったわけではないのですがブルートレイン「さくら」の思い出です。昭和57年12月25日に北山YHに宿泊しクリスマス会に参加。翌日新幹線、特急「かもめ」乗り継ぎで長崎へ、トクちゃんに会った後、長崎南方苑YH泊、27日朝、長崎駅へ行き、東京から「さくら」で来た彼女を迎えて長崎南方苑YH泊、29日大宰府YH泊、31日博多から新幹線で大阪、東京へ帰宅。昭和58年1月1日から3日再び北山YH泊、この時、そねまんとアメと八坂神社、新京極へ行った記憶があります。

      初めて夜行列車に乗ったのは昭和42年の夏休み、天王寺23時発紀勢本線まわり名古屋行普通列車(後に新宮行になり「はやたま」という愛称がつく)でした。新宮で50分停車、めはり寿司を食べて亀山で下車、関西本線で帰宅。

      そのあとは昭和50年代野沢温泉へスキーへ行った時の急行「ちくま」、白馬岳登山の時の急行「くろよん」、鏡平登山の帰りの急行「立山」これは電車、岩尾別YHから札幌へ移動する時の網走発の特急「オホーツク」これはディーゼル。

      初めての寝台は平成10年9月家族3人の東北旅行の帰り、仙台で「やまびこ」が入線してきた時、震度4の地震、2時間ストップし、東京発最終の「のぞみ」に間に合わず、急行「銀河」に振替、B寝台2段ベッドでした。ただ、その「銀河」も関東に接近する台風の影響により根府川でストップ、夜を明かす。弁当が配られ、熱海で運転打ち切り、動き始めた新幹線で大阪まで帰宅となりました。

       

       

       

       

       

  4. 少し長めです。

     夜行列車というと特急、急行、普通列車の寝台車、指定席車、自由席とそれぞれ少しだけ思い出があります。
     初めて夜行に乗ったのは昭和48年5月末で広島まで鈍行で行き、そこから先は朝まで鈍行がなかったので夜行の急行に、もちろん列車名は覚えていません(が急行「阿蘇?」)で博多まで(多分)自由席。広島で発車まで時間があったので駅周辺をうろうろしていたら歩道橋の上だったか忘れましたが「兄ちゃん、金貸してくれる」と声を掛けられました。「金があったらこんな所歩いていない」と答えてその場を立ち去ったが、ずっと後を付けられた。油断しないように歩いて広島駅付近までいったらいなくなりました。夜中とは言え駅付近には多数の人がいましたから・・・

     初めて寝台車に乗ったのは昭和48年6月に博多から大阪まで(前出の広島から博多まで行った時の帰路)、列車名(「あかつき」とか「明星」だった?)は覚えていません。
     2回目に乗ったのは、くぼちゃんや亡くなったばかりの藤江氏(安井ちゃん)達と年末年始に皆で行った北海道で釧路から札幌まで(だったと思います)「急行狩勝」の寝台車でした。その時は狩勝ユースとだなんて呼んでいたと記憶しています。寝台列車に乗ったのはその2回だけ。

     大垣夜行にも乗ったことはありますが、静岡から乗るのは無謀と知り一度だけ。ただそれとは別に、グループごきの人たちが大垣夜行で北山に行くときに富士から静岡駅まで(所用で同行できず)出迎え見送りのために乗車しました。ちなみに、その日の夕方には新幹線で上洛しました。
    そねまんさんの

    大垣行 懐かしいですね。北山の先輩の方々と 乗った事がありました。東京駅で乗車早々飲み始めて 後から乗ってきた酔客と 一緒に 宴会になった記憶があります。

    の時だと思います。

     急行列車の夜行というと昭和55年5月2日に仕事が終わってから上野に行き自由席の津軽(だったと思います)に乗車。東京のSさんが先に並んでいてくれたので故安井ちゃんと3人とも座れました。大阪組は「きたぐに」でしたが彼だけは東京経由でした。
    最も乗ったのは「銀河51(81)号」(寝台の銀河ではありません)で全指定なので静岡からでも座れたのです。何度も乗ったのですが1度だけ奇跡?のような偶然がありました。乗り込んで自席に向かうと、私の隣の席に人が座っていました。隣の席に人がいるのは不思議ではないのですが、それがなんと(記憶が曖昧ですが)そねまんさんでした。

    1. あ~ そんな事 あったような気がします。銀河51号は大阪行 53号は京都行だったんですよね。その当時 唯一の東京発 京都行の列車でした。

  5. 大垣夜行で有名だったのは、静岡駅の深夜の駅弁販売でしたね。同じ時間帯の急行銀河到着時にはいなく、鈍行専門だったみたいです。初めて利用した中学生の頃から、当時首都圏で珍しかった缶麦茶は何回か購入した記憶があります。

    あと九州に残っていた夜行鈍行を使って、東京から2泊3日で長崎まで行ったこともありました。

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