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参詣線

たなきんです。いつものように長文です。

人生の三分の二以上を神奈川県民として過ごしてきたが、なんとこの県内に乗ったことはおろか、存在さえ知らなかった鉄道があった。それは、伊豆箱根鉄道の大雄山線である。私は神奈川県の東側に住み、この路線は神奈川県の西側を走っているので気が付かなかったのである。きちんと書くと目には映っていたが意識に上らなかったのである。

この大雄山線は東海道新幹線の停車駅である小田原駅から北上して、9.6キロ先の大雄山駅までのローカル線であるが、数十年前に富士フィルムが工場を建て、「富士フィルム前駅」も出来たたことから、田畑が住宅に変わってきて通勤の鉄道になっており、単線ではあるがちゃんと車掌も乗る電車が12分間隔で走っている黒字の路線なのである。それでも本来は「大雄山最乗寺」への参詣を目的として敷設された鉄道なのである。

さて、令和四年十二月の上洛のついでに、京阪鉄道石山坂本線に乗る計画を立てているが、「坂本」は比叡山の琵琶湖側の入口であり、「坂本駅」は平成三十年に「坂本比叡山口駅」に駅名を変更したばかりである。私はJRを利用して坂本から京都に戻ったことはあるが、今回初めて京阪を利用するのである。

振り返ると、鉄道は様々な理由で敷設されるが、寺社仏閣を参拝する大勢の人数を見込んで路線ができた例は少なくないようである。関東で初めて走った電車が京浜急行大師線(当初は大師電気鉄道)であり、この線は今となっては品川・横浜間をJRと競争する本線がメインであり、その本線の川崎駅から出る盲腸線が大師線という認識がある。川崎大師の参拝者数は年間約300万人と日本で三番目に多く、初詣は日本七位の参拝人数なのでその時期だけは満員電車となり、大晦日から元旦まで徹夜運転されるのが通例である。

話を京都に戻すと、叡山電鉄も鞍馬寺や比叡山延暦寺の参詣のための鉄道であった。まあ、名称が「叡山」なので延暦寺のほうに重心があるかも知れない。鞍馬の紅葉を楽しむとか、火祭りを観に行くというのは最近になって流行ってきた話ではないだろうか。

関東の私鉄の雄である東武鉄道には参詣路線が複数ある。まずは西新井大師へ向かう「大師線」は「西新井駅」と「大師前駅」の二駅しかない全長1.0キロの盲腸線である。本当は大師前駅から延伸する計画があったらしいが、今は計画した路線に沿って環状7号線という大きな道路が1964年の東京オリンピックに合わせて整備されてしまい、鉄道敷設の意味がなくなってしまった。

面白いことに大師前駅には有人改札ゲートが合計で数個あるが、これは年越しと初詣の時だけ使用されていて、普段は無人駅である。また、自動改札機、自動券売機、自動精算機もない。これなら無賃乗車はし放題と思われてしまうが、大師前駅からの乗客は次の西新井駅の自動改札を通らないと駅の外に出られない仕組みになっているのである。

そして、東武日光線である。東武浅草駅から特急に乗ると伊勢崎線経由で東武日光駅までノンストップで行くことができる。ついでながらJR日光線は先に出来ていたが、東武はデラックスな特急車両を導入して乗客人数では競争に勝ったといえる。その後、JRの路線に東武の車両が乗り入れて新宿から日光への直通列車を走らせる協調状態になったのは喜ばしいことである。ただ、JR日光線は存続しているので、乗り鉄趣味の私は、東武日光線とJR日光線の両方に乗るために二日連続で日光へ行く羽目になってしまった。

浅草の近くの上野からは京成電鉄が走っているが、東「京」と「成」田山を繋ぐその名前の通りに京成電鉄本線は成田山新勝寺への参詣者を運ぶ目的でできたのである。ちなみに、成田山新勝寺の年間参拝客は1,000万人を越え、正月三が日だけで300万人だそうである。関東地方の成田山に対する崇敬は凄いものであり、ここで少し脱線話をしたい。

令和四年の夏に成田山新勝寺を初めてお参りした際に、「成田山の御札」を購入した。厚さ3mm、縦横それぞれ2.5cmと5.0cmの柾目の木の板に「成田山」の焼きごてが入り、上に紐通しの孔が開いている。その孔にたこ糸などで首掛け紐を作り、肌身離さず首に吊すのである。持ち帰って数十年ぶりに首に掛けたら、愚妻も幼少のみぎりに掛けていたとのこと。彼女は成田山から100km離れた横浜の産である。今年、市川團十郎白猿を襲名した市川海老蔵は「成田屋」という屋号を持つが、これは市川家が代々成田山新勝寺を信仰していたからである。そして、その木製の御札は柾目なので、知らないうちに割れることがある。空手の実演で使う板は割れやすいのでだいたいがこの柾目の板なのである。で、割れたということは御札が自分の身代わりになって割れてくれたということで、また新品の御札を買い求めるという仕組みになっているのである。

成田山の御札
成田山の御札

またさらに脱線するが、名古屋鉄道豊川線の終点には豊川稲荷がある。これはたまたま線路の終点に豊川稲荷があったのであって、参拝者を運ぶ目的ではなく、大東亜戦争中に豊川海軍工廠ができ、その物資輸送と関係者通勤のために敷設されたのである。

令和四年末の上洛の際に乗る鉄道に米原駅から出ている近江鉄道に乗る計画があるが、ここにも近江鉄道多賀線という多賀大社前駅を終点とする参詣路線がある。途中駅がひとつしかない盲腸線であるが、往時は沿線にキリンビールやセメント工場ができて近江鉄道のドル箱路線であったが貨物輸送がなくなったことから、沿線の自治体の支援を仰ぎ鉄道会社は運営だけを担当して財務負担を軽くする方向のようである。

さて、関西私鉄の雄である近鉄には、近鉄山田線(伊勢神宮)、近鉄信貴線(信貴山朝護孫子寺)、近鉄橿原線(橿原神宮)、近鉄天理線(天理教本部)があり、よく調べてみると近鉄道明寺線も高野山の参詣客を当て込んで敷設されたと資料にある。

鉄道に興味がない読者もおられるだろうから、ここらで筆を置くが、南海高野線(金剛峯寺)、一畑電車(出雲大社・一畑薬師)、広島電鉄宮島線(厳島神社)、西鉄太宰府(太宰府天満宮)なども取り上げたいが、日本人が信心深いという面もあるものの、私のように参詣を口実に物見遊山を楽しむ人間が多かったのではないかと思うのである。

さて旅行好きの読者諸兄におかれては、以上書き連ねてきた路線のうち、どれくらいに乗ったであろうか。

タナキン

北山ユース開所366日目から宿泊して、皆さまに育てられた大昔のホステラーです。 京都の寺社仏閣の全数踏破を終え、次に季節毎の拝観を実施中。

2件のコメント

  1. 東武大師線と同じ方法を採用しているのは、山陽本線兵庫~和田岬の和田岬線です。

    1. kazuさん、情報をありがとうございます。

      和田岬線を調べて見ました。この路線、休日は朝晩に各一往復しかないのですね。まあ、平日でも12本なので、乗り鉄にとっては挑戦しがいのあるな路線です。

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