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上賀茂神社特別公開

たなきんです、いつものように長文です。私は、京都マニア、京都通を自称するわりにはきちんと寺社の故事来歴、由緒由来を理解していない例が多々あるのです。

まあ、京都では数えてみると有名な寺社だけでも数百を超えるので、全てを頭の中に貯えているわけではありません。さらには、非公開であったり、一部だけ期間限定で特別公開などという寺院が多数あるので、その場合は三門や鳥居にタッチして「行ったこと」にしていたのであります。

加えて、境内にある建物を全て拝観したわけではありません。例えば東寺には両手の指では足りないほど参詣しておりますが、大抵はそこで開かれる弘法市を見物するだけで、金堂、講堂、五重塔の中に足を踏み入れたのは令和の時代になってからであります。また、宝物殿は春秋に一定期間の公開がありますが、当然ながら春と秋では展示物が異なりますので両方の季節を待たねばなりません。そして塔頭寺院も忘れずに訪れないと古都の歴史を知ったことにはならないのであります。なお、東寺については、すでに書いておりますので下記をご参照ください。
https://kitayamayh.org/main/2022/05/24/東寺/

さて、上賀茂神社に初めて行った(参詣ではありません。)のは、北山ユースにグループ・ゴキという東京からしばしば京都に遊びに来る団体に連れて行ってもらった高級うどん店へ向かうついででした。そのうどん屋は「あぜくら」という名前で当時の京都のガイドブックにも載るほどの有名店だったのですが、何故か「リストランテ愛染倉(あぜくら)」というイタリアン・レストランに替わり、2015年には日本テレビ系「ぐるナイ」のロケにも使われ、多部未華子さんが出演されていたようですが、今は閉店されております。
なお、リストランテ・アゼクラについては、下記のサイトをご参照下さい。
https://osumituki.com/kyotokanko/foodie/40679.html

その後に、上賀茂神社の近くまで行き、「神馬堂」や「葵家やきもち本舗」で焼き餅を食べたり、「御すぐき處なり田上賀茂本店」ですぐきを買ったり、さらには「御料理 秋山」で京都の味を楽しんだりしたのですが、肝腎の上賀茂神社の本殿について参詣したかどうかの記憶がございません。ただただ、白い神馬を観た記憶があるので鳥居だけタッチして帰ってきたのではないようであります。

お待たせ致しました。ここまでが落語で言う「枕」、音楽用語では「プレリュード」であります。いよいよここからが本文、中身であります。令和五年の春に、「令和5年度 春期京都非公開文化財特別公開」という物々しい名前の催事があることを知り、京都マニアが昂じて京都は西院近くに転居したKさんと一緒に出かけたのであります。

上賀茂神社は別名で「賀茂別雷神社」と呼ばれて、、、という能書きはネットで調べて頂き、今回は「特別公開」がどのようなものかを実況したいと思います。

まずは、京都市営バスの終点「上賀茂神社前」に到着寸前に広がる景色に大変驚きます。なんと賀茂川を渡る御園橋を過ぎると目の前に本格的なロータリー(パリの凱旋門にあるやつ)が出来ていて、その先には真新しい鳥居が新設されております。昔からある一の鳥居ほど大きくありませんが、初めての観光客には「つかみはオッケー」になるのではないでしょうか。
そして、バスを降り、一の鳥居を潜り、左に馬場を眺めながら二の鳥居を潜ると細殿があり、その手前に、砂を二つの円錐形に盛り上げた立砂が望めます。小さな橋を渡り、楼門を抜けるといよいよ本殿であります。まずは、受付と初穂料を奉納し、靴を脱いで上がるのは寛永五年の作で重要文化財の直来殿に通され、説明とお祓いを受けます。その後に、高倉殿という宝物殿に通されてご神宝、秘宝を拝観致します。

季節はちょうど上賀茂神社の紋となる双葉葵の開花時期であり、生の双葉葵も水盤の上に開いておりました。ハートの形の葉が必ず一対になっており、1〜2センチほどの小さな花が俯いて咲く。この双葉という言葉がキイワードとなっておりますので、少しの間ご記憶ください。

さて、高倉殿の見学が済むと中庭に案内されます。中庭に降りるのではなく廊下から中庭を挟んで二つのご本殿を拝むのであります。正確には二つの本殿のうち向かって右側が本当の本殿で、左が権殿という建物であります。「権」とは、バイス・プレジデントの「バイス」、正副の「副」を意味しており、神社用語では「権禰宜(ごんのねぎ)」なんてのがあります。つまりは「禰宜」は会社で例えると社長で、「権禰宜」が副社長ということになります。調べてみると「禰宜」の上に「大禰宜」が置かれたり、「宮司」や「神主」がある神社もありますが、上賀茂神社では「禰宜」が一番偉いようであります。

脱線が過ぎました。「権殿」は「副本殿」で建替えや修理の時に、神様を「お遷りいただく」ための建物だとのことであります。つまりは予備の建物が常に準備されているということであります。同じ神道ながら、式年遷宮をする伊勢神宮とは考え方が違うのに驚きます。

思い返せば、2001年9月11日、ニューヨークのワールドトレードセンターにテロリストが操縦する飛行機が突っ込むという事件がありました。その時、事業所が壊滅状態になっているのにも拘わらず、翌日から営業を再開した会社がありました。その会社はいざという時のために、第二事務所(セカンド・サイト)をハドソン川の向こう岸に用意していたのであります。この時から「事業継続計画」(Business Continuity Plan: BCP」というのが流行りました。つまり、何かあっても営業を継続できるようにしておこうということであります。

映画「シン・ゴジラ」では首相官邸を破壊された内閣の一行が立川のセカンド・サイトに移動するシーンが出てきますが、それなりの企業はセカンド・サイトを準備するようになっております。某社などは東京都の隣の県にセカンド・サイト用に大きなビルのワンフロアを借りていますが、当然ながら大きな災害は発生していないので24時間365日そのフロアは使っておらず賃貸料と電気代を支払っております。そして、実はサード・サイトも別の某所に賃貸契約しております。

自宅の建て替えのためにしばらくアパートを借りるという話を聞いたことがありますが、常設でセカンド・サイトを持つというのは上賀茂神社が世界最古ではないかと愚考するのでありますが、これが双葉葵の二枚の葉にちなんで、ふたつの本殿を建てていると考えると愉快だなあと思うのであります。

なお、話は行きつ戻りつになりますが、二ノ鳥居を潜って直行せず、右に折れると鬱蒼と茂った大木の下に「渉渓園」という庭園があって、その中を細い流れが曲線を描いております。後で調べてみると、そこは城南宮で開催されているのと同じく「曲水の宴」が行われる場所で、この神社では4月の第二日曜に開催され、歴史は西暦1182年まで遡ることが出来るとウエブサイトに記載がありますが、現地の説明板を読むとどうやら近年に再整備されて再開された行事のようでした。
蛇足ですが、2022年には北野天満宮でも約1100年振りに再開されたとのことであります。北野天満宮は横を流れる天神川の両岸を整備して紅葉の名所を作ったり、なかなかの遣り手だなあと思っております。
曲水の宴についてはこのサイトをご覧下さい。
https://www.okeihan.net/navi/kyoto_tsu/tsu201711.php

広い境内を散策していると喉が渇きます。そこで上賀茂神社の西側の通りを挟んだ休憩所でコーヒーを飲み一息つきました。店員さんは近所の京都産業大学の学生さんで、コーヒーのお供に焼き餅が付きますが、これが神馬堂のものではなくて葵家の焼き餅なのであります。この文章の最初に書いたように神社の前はロータリーができるだけでなく、葵家も移転し神馬堂より大きな建物になっております。個人的な感想ですが、神馬堂の方が有名で、葵家のはそうでもなかったのですが、葵家の焼き餅が上賀茂神社の休憩所に採用されている理由は、葵家が神社のテナントだからという話を聞き込みました。

令和の東京オリンピックをきっかけにインバウンドの客を呼び込もうと、上賀茂神社も駐車場を拡大し、鳥居を新設、トイレも大きくし、休憩所まで営業を始めるとはなかなかの企画だなあと京都人のたくましさを感じたのであります。

なお、上賀茂神社の巫女さんは何故美人ばかりなのかという件については、「顔採用」とか「ルッキイズム」とかの現代の微妙なところに触れそうなのでここには書かないことにします。

タナキン

北山ユース開所366日目から宿泊して、皆さまに育てられた大昔のホステラーです。 京都の寺社仏閣の全数踏破を終え、次に季節毎の拝観を実施中。

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